第1章 印象いろいろ  《 第7部 インド再び そして ネパール 》
第1話 カルカッタ第2話 ダージリンネパールを経て「第3章インド再び」へ
第1章 印象いろいろ
第1話 カルカッタ No.102No.102
地図

 彼は両手の平を上に向け、首を振っている。汗ばんだ浅黒い顔の奥で、さも困ったような目がこちらを見ている。おつりの10ルピー(30円程度)が無いというのである。

 2月といえども、日本の真夏を思わせるカルカッタの暑さが、ようやく峠を越えた、夕暮れのシアルダー駅前、19時15分発の列車、ダージリンメールには、まだ充分の時間がある。

 私はため息を装いながら、そのタクシー運転手を見つめていた。歳の頃は50前といったところか。

 前回のインドの旅の初めでは、こういったやり取りが、その汗ばんだ肌のように、不快に感じて、「だめ、40ルピーと言ったではないか」と、きっと声を尖らせていたことであろう。

 けれど私はなんだか、「じゃんけん、じゃんけん…」と言い合って、お互い勝負の気持ちを盛り上げる時のような、そんな空気の張りを、むしろ面白くさえ感じていた。

 というのも、日本からの機内では、同席した聞き上手の学生さんに、さんざん前回の旅で経験したインドの渾沌を、得意になって話していたのだが、いざカルカッタに下りて見ると、「あれっ、ここ本当にインド?」と思えるほど、普通なのである。

写真  道端の共同井戸では、洗濯したり、体を洗ったり、2月といえどもカルカッタは日本の真夏の暑さ。

 確かに、物乞いはいたけれど、まあ、他の国でも見かける程度と、そう大差はない。その上、旅行者にまとわりつく自称ガイドや物売りも、いるにはいるが、覚悟していた程の迫力がない。それに、街が予想外に綺麗なのである。

 あのインドだからと気合を入れてやってきたのに、なんだか拍子抜けしてしまう。どこか違うなと感じつつ、地下鉄を降り、カリー寺院へと歩いていた次の日、ハッと気がついた。

 牛がいないのである、神なる牛が。その分、道路に糞を残すということもなく、街の印象があか抜けしている。

 「カルカッタは、ずいぶんきれいな街だ」と、この時期日本の学生さんでにぎわう、ホテル街サダル・ストリートで出会った若者に言ったところ、「ええっ、これで!」と驚かれてしまった。

 はたして、インドが変わったのか、私が変わったのか、それともカルカッタが特別なのか、いずれにせよ私は、カルカッタの普通ぶりに、この分では旅も楽そうだと安堵しつつも、なんだか、ビールから苦味が抜けたようで、少々物足りなさを感じていたのである。

写真  朝のごみ収集作業。カルカッタはけっこうさっぱりしているように、私には思えました。

 "やっぱりインドはこうでなくては!" 何とか10ルピー多くせしめようという彼を前に、私も困ったような顔を向けつつ、じゃあ、チョキでいくかグーでいくかと、次の一手に思いを巡らせていた。

 ものごとを、ある程度外から、前後を含めて見ることが出来るということは、事の成り行きを、そのストーリーにダブらせて理解することの出来る体験を、心の引き出しに持っているということであろうか。

 再読するサスペンス小説には、初めの時に味わった、主人公になりきってのハラハラドキドキはないものの、そのときには味わえなかった、作者の工夫の面白さや、構成の妙に気づかされることがあるもの。私は人生の後半の楽しさも、そんなところにあるような気がしている。

 だから、確かに健康でありたいとは思うけれど、若さにこだわることよりも、老に向かって進むことに、むしろ興味さえ覚えている。いったい何処まで、前半で着込んだこだわりを脱いだ自由を、遊べるようになれるのかと。

 もっともこれは、あがいてもどうしようもない諦めも、混ざってはいるのだろうけれど。

 そんな老獪の楽しさを気取って、30円(10ルピー)をめぐっての、おじさん二人の攻防が続く。

 「だったら、持ち合わせの30ルピーで…」

 実のところ私も、ポケットを探せば、40ルピーの都合はついたであろう。けれど、つり銭が無いと言う彼に乗じて、10ルピー値切ってやろうと頑張ってみる。

 気前のいい日本人の、「じゃ、釣りはいいや」という声を期待していたようだが、そうはいかない。ところが敵もさるもの、次の手が用意されていた。

 ダッシュボードの小物入れを開けると、そこに1枚放り込まれていた、しわくちゃの5ルピー札を、おもむろに取り出し、これしかないから、釣りをこの5ルピーにまけろと差し出す。思わず口元がほころんでしまう。なるほどなるほど、そこまで用意していたとは。

 ところが、さてどうしたものかと、思案する私の目の下に、チラッと映った、彼の丸く膨れた胸のポケットからは、なんと、なんと、お札の束が、無造作に顔をのぞかせているではないか。頭かくして尻かくさずの愉快さ。

 ゲームオーバー、私の勝ち! 私はふきだすのをこらえながら、ゆっくりと、そして歌舞伎役者のように少々オーバーに、人差し指を彼の胸ポケットに向けた。

 「オーッ」  悪びれるでもなく、しょげるでもなく、気後れするでもなく、それまでの会話などまったくなかったかのように彼は、明るくお釣りの10ルピーを差し出した。

 苦笑苦笑! 30円の攻防。何故か憎めないインドの人々。

写真  踊るシバ神。カルカッタインド博物館。見ていると、何だか気持ちが愉快になってくるような…。
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第1章 印象いろいろ
第2話 ダージリン No.103No.103

 寒い。まだ夜の明けぬ3時半、もぞもぞとベッドから抜け出し、明かりをつける。窓のガラスが、黒い鏡のように、部屋の中を冷たく映し出す。

 昨日も一日中その紐にぶら下がっていた洗濯物は、まだシトッとして、とても着れない。仕方がない、着替えは1日おあずけである。

 真夏の暑さのカルカッタから北へ500km、夜行列車とジープで一晩と半日、標高2,000mを越える紅茶の産地ダージリンの2月は、しっとりと冷たい空気に重たく包まれていた。

 通りに面した一面が窓という、素晴らしい部屋を165ルピー(4ドル)で見つけたのだが、翌日目覚めて湿度計を見れば、針は目盛りの端の90%にへばりついている。

 故障かと思ったが、そうでもないらしい。日が昇るにつれ、徐々にではあるが針は動いた。それでもノートの紙はヘナッとしたままである。

 ベッドは清潔で、もぐりこむ時は気持ちがいいものの、しばらくすると、ヒヤッとした冷たさに包まれてしまう。そのため昨夜は、ペットボトルに熱いお湯を入れ、タオルに包んで湯たんぽにした。

 けれどどうも、ぐっすりとは眠れなかったようだ。もう少し眠っていたかったが、今日はそうはいかない。これからインドの最高峰、8,598mのカンチェンジュンガが、朝日とともに赤く染まる姿を、タイガーヒルの展望台まで、見に行こうというのである。

 私はポットで沸かしたお湯でネスカフェをつくり、昨日買っておいた菓子パンをほうばった。手に持つカップから伝わる暖かさが嬉しい。窓際の温度計は10℃を指している。外はセーターとジャケットでも寒いくらいである。

写真  タイガーヒルより望む標高8,598mのカンチェジンガ。インド最高峰、世界でも3番目である。

 ところで、今回ネパールに行くのに、このダージリン経由を決めたのは、何といっても紅茶を買いたかったからである。タイガーヒルから帰って、宿の人にそう言ったら、お茶は今の時期最悪だと言われてしまった。

 どうしてかと思ったら、茶摘は4月頃だから、それが出回る頃が最高で、今は1年前のお茶しかなく、香りも抜けているとおっしゃる。そんなこと言われても、5月にもう一度来るわけにもいかないからと、チョークバザールの専門店を教えてもらい、町の見物も兼ね、出かけることにした。

 それにしてもインドもダージリンまで来ると、気候のみならず、人の印象もずいぶんと違う。なんというか、肌が合う。インドの人と接する時は、どうしても構えてしまい、いざこれからと靴をはいた時のような、そんな気分にさせられるのだが、それがない。裸足のリラックス。

 また、旅人につきまとう商魂たくましい人もいず、人々もどちらかといえば控えめで、それに、モモという餃子のようなチベット料理をはじめ、馴染みの味も多く、我々に近いアジアを感じてしまう。おまけに美人が多い、アジア型の美人が。

写真  焼き飯とモモ(餃子、約0.6ドル)。馴染みの味にホッとする。

 そんな美人をコンパクトカメラに納めて喜んでいたのだが、日が暮れ始めても、まだフイルムがなくならない。どうも妙に思えて、カウンターを見てドキッとする。ゼロのままなのである。

 「あれ〜っ!」

 今朝あのタイガーヒルで、ちょうど綺麗な光の時に、二つ同時にフイルムがなくなり、あせって一眼レフの方は入れ替えたものの、こちらは取り出したままにしていたようだ。

 逃した魚は大きいというが、なんだかとても気に入ったスナップが撮れていたように思えて、今もって心残りな一日である。

写真  ダージリンの女学生。顔はまさにインターナショナルスクールのよう。

 ところで紅茶は、ダージリンティーが量り売りで200g80ルピー(2ドル)。「最高の香りだろう」そう言って店の男は、金張りの箱から一握りを取り出すと、おまじないのように、ハーッと息を吹きかけ、その湯気の温もり残る手を、私の鼻先に伸ばした。

 去年のものといっても、さすがダージリンティー、ほのかに漂うすがすがしい香り。私は航空便で送ろうと、土産の分も含めて1.5kgを買った。

 ところがこの荷造り、結構めんどくさい。チベット難民キャンプで買ったお面と一緒に送ろうと思ったのであるが、だいたい何処の郵便局にでもある、パッケージサービスがない。自分で荷造りせよという。

 仕方なくダージリン最後の日、朝一番で宿の人に相談してみた。

 「ちょっと待ってください」そう言って奥の部屋に入った彼は、しばらくして使い古しのダンボール箱を持って出てきた。

 「この箱を使って下さい。」と言う。
 「有り難う、いくらですか。」と聞くと、
 「いえ、けっこうです。」との答え。
 やはりダージリンは、気持ちのやり取りに、我々に似たものを感じて嬉しい。

写真 ダージリンの紅茶畑。

 ところが、荷造りはそうもいかなかった。しきたりがけっこう厳しい。紐でくくって、ただ宛先を書けばよいというわけにはいかないのである。箱に詰めた後、白い布で包み、合わせ目を糸で縫いつけ、シールをつけろという。

 「材料は市場に売っていますよ。」
 そう言われて出てみたのだが、白い布は手に入ったものの、シールがなかなか手に入らない。いや、入らないというより、どうも通じていないようなのである。

 それもそのはず、私は荷札か、宅急便に張りつけるような紙を想像して尋ねていたのだが、どうもそうではないらしいのである。となると、いったいどんな店に行けば良いのか、見当も着かなくなる。

 その上、意味のわからない言葉というのは、言葉というより、だんだん、ただの音になってしまい、「シュール」だったのか、「スィール」だったのかと、ますます混乱してきてしまう。当然聞かれている方もわけがわからない。

 私は、店々で、「航空便で荷物を送ろうとしたところ…」と、いちいち事の成り行きを説明しなければならなかった。

 結局その正体は、ある種のロウのようなものの塊で、それを縫い目にいくつか、暖めて溶かしてへばりつける、いわゆる封印であった。

 そう言えば中世あたりの映画で、大事な封筒にそのようなものをたらし、指輪の紋を押し付けていたのを見たことだある。ずいぶんと重々しいやり方だ、イギリス植民地時代のなごりだろうか。

 私の場合そんな指輪はないのでどうするのかと思ったら、郵便局の人はそこにあった鍵の頭を押し付けて私のシールとしてくれた。

 そんなこんなで、午前中に材料を買い揃え、午後からはじめた荷造り作業が終わったのは、3時45分。職員がもう終わるから明日にせよと言う中、無理やり待ってもらっての作業であった。何と、1日仕事。

 それなのにである。それなのに、旅から帰って聞いてみたら、紅茶以外はゴミだと思ってみな捨てたとおっしゃる。そりゃスマートなパッケージではありませんでしたよ。そりゃ紙くずは詰めてありましたよ。だけどあのお面が目にはいらなんだか…。

つづく

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