第3章 インド再び  《 第7部  インド再び そして ネパール 》
第1話 ヴァラナシーの沐浴第2話 空き地の覇権第3話 牛のように第4話 リクシャマン
第5話 前正覚山第6話 エアコン列車第7話 カンチプラム第8話 マハバリプラム
第9話 帰りよいよい第10話 コナーラクの微笑みは第11話 多様の国が意味するものは
第3章 インド再び
第1話 ヴァラナシーの沐浴 No.107No.107

 そのごみごみとした街の印象にもかかわらず、ヴァラナスィーがとても気持ち良く感じたのは、その乾燥した空気のせいだろうか。

 牛の糞の残る狭い路地を歩いても、混雑する人ごみに行く手を阻まれても、3月のヴァラナスィーは気持ち良かった。日の当たるところは暑くとも、影では凛とした涼しさを感じさせる。気温は28℃でも、湿度は40%前後で止まっていた。

写真  ヴァラナスィーでは、カルカッタと違って、聖なる牛が、巡礼者に混じって、狭い路地を、自由に闊歩している。

 ネパールのポカラから、国境を越え、バスでまる2日、シバ神の聖都ヴァラナスィー。ヒンドゥーの人々には、この地に流れるガンガー(ガンジス)で沐浴することが、無上の喜びだという。

 そのガンガーの流れは、岸辺に照りつける強い陽射しにもかかわらず、足をつけるとヒヤッと冷たい。まるでヒマラヤの雪解けの冷たさを、まだ何がしか留めているかのように。

 人は、予想に反した自然の振る舞いに、神秘の力を感じるもの、ここが聖地と崇められるのも、そんな温度差のアンバランスも一役買っているのであろうか。

 ガートの階段を下り、腰まで水につかった中年の男は、そのガンガーの水を両手ですくい上げ、しばらく祈りをささげていたかと思うと、一気に水にもぐり、そしてまた祈る。

写真  聖なる河ガンガー、この河で沐浴すれば、全ての罪が清められるという。 

 沐浴を終えた若者は、ガートの岸辺で、体操をはじめた、その表情に、羨ましいほどのすがすがしさを漂わせて。はたして我々に、彼のような表情をする時などあったであろうか。

 岸では沐浴をする人に混じって、洗濯が始まる。ガートの水際に座り込んだ老女は、洗濯板代わりの石段の上で、石鹸をつけた布をゴシゴシと擦り、そして川ですすぐ。

 その泡のその先では、色浅黒い男が、ガンガーの水を含み、口をすすいでいる。この岸辺では、人ばかりでなく、牛も「沐浴」をする。岸を打つかすかな波にあわせて、捧げられた黄色い花々は、ゴミとなってぷかぷかと川面に漂う。

 聖なる河ガンガー、あらゆる罪を洗い清めるというガンガー。けれど信者の人には申し訳ないが、旅の感動を少し横に置いて、覚めた目で見た印象を、正直に言わせてもらえば、この河はむしろ汚れている。

 確かに化学物質による汚染は、そんなにないのかもしれない。だから、自然のサイクルの中のものに、汚いものなどないと言ってしまえばそれまでだが、どう見ても私には、この河から清らかな印象は伝わってこない。

 けれど彼らには、感動に身を震わせるほど、神聖なる河なのである。見ているものは同じはずなのに、見えているものの何と違うことか。

 いったい人というのは、現実の背後に、どれだけ多くの思い込みの虚像をつくり上げ、それに支配されて生きているものなのだろう。

 いや、そればかりか、そんな虚像のつくり出す、恐怖やプライドに駆り立てられて、相争っている所が、あるのではないだろうか。

 ひょっとして私も、自分では気づかないだけで、同じような思い込みに踊らされているのだろうか。考えてみれば、実像だと信じている科学でさえ、現実の背後に人類の知性がつくり上げた世界である。

 何も現象の背後で、実際に数式が踊っているわけではない。何も落ちるりんごが、万有引力を計算しながら、落ちているわけではないはずだ。

 「沐浴しないのかい?」

 体操を終えた若者が、焦点を定めるでもなく彼を眺めていた私に声をかけてきた。

 「ああ」

 生返事をした私ではあったが、まるで心の隅々まで清めたかのような彼の表情に、ハッと我に返る。これは現実ではないかと。

 確かにガンガーが聖なる河というのは、虚像かもしれない。しかし、その虚像で沐浴し、満ち足りている彼は、実像でなくて何であろう。

 例え信仰が虚像だとしても、それに支えられて、その人のその日が、充実した現実になったとしたら、はたしてそれを虚像と言えるだろうか。

 たとえ縁起かつぎと言われても、その縁起をかつぐことによって、その人が気分すっきり事に集中できれば、はたしてそれを虚像と言うべきか。

ガンガーに祈る 写真

 いやいやこの虚像こそ、現代我々の失ったものではないのだろうか。いつのまにか物はあふれてしまった現代日本、しかし、その物にどのような意味があると、我々は自信を持って言えるだろうか。

 自分の人生の意味を、しっかり支えてくれる沐浴の場を、はたしてどれだけの人が持ち得ていることであろう。

 確かに、思い込みの虚像が、いわれなき迫害を生むことも忘れてはなるまい。けれどだからと言って、ガンガーからシバ神を追い出し、汚い河としか見えない私に、はたして彼の充実感を手にすることが出来るのであろうか…。

 そんな思いを知ってか知らずか、ガンガーはとうとうと流れ続けていた。川面をキラキラとちらつかせて。

 インドは、凡人をも哲人に変える。いや、少なくとも哲人気分に。

写真  朝日に染まるガンガー
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第3章 インド再び
第2話 空き地の覇権 No.108No.108

 「ウオッ」

 不覚にもそんな音に近い驚きの声を、腹の底あたりから発してしまった。そればかりか、その声とともに、力の抜けた腰を、思わず後ろに引いて立ちすくんでいる、自分の姿に気づく。

 腰を抜かすとまではいかないが、漫画家が描けば、そんな絵になろう。驚かすつもりが、逆に驚かされてしまった。何とも情けない。

写真  朝のガンガー。歯を磨く人、顔を洗う人、沐浴する人…。

 朝日のガンガー(ガンジス河)を見て、宿に帰り、朝食にと昨日買っておいた食パンを探したのだが、何処にも見当たらない。

 さては誰かに侵入されたかと、いろいろめぼしいものをチェックしてみても、何も盗られていない。ここは4階、窓にはしっかりと鉄孔子がはめられている。そんな部屋にわざわざ入って、あんなパンのみを盗っていくという人もおるまい。

 昨夜買って帰る途中に、何処かへ置き忘れたのだろうか。そう思いながら、昨夜の記憶を辿って、ぼんやりと眺めていた窓の外の軒には、食パンの袋のようなのが、引きちぎられているではないか。

 あれ、あれは私のパンではないのかい?

 目を凝らす私の前に、ドタドタと窓の上から、太った猿が降りてきた。そう言えば、もう一つ窓際に置いておいたはずのアーモンドも、軒の上で食べ散らかされている。

写真  敵は、鉄格子の向こうでリラックス。私を守る鉄格子は、彼を守る鉄格子でもあって…。

 「このやろう!後で食べようと楽しみに残しておいたやつを!」

 私は窓際に近寄り、「ワッ!」と両手を広げようとした。せめて脅かして、縮み上がらせてでもやらなければおさまらない。

 ところが彼奴、私が手を広げたそのタイミングで、脅かしの声を出そうとしたその間隙に、「ガーッ」と迫力のうなり声を上げ、歯をむいた。

 悔しいけれど、喧嘩の駆け引きは1枚上手のようだ。意表を突かれ、反射的に身を引いてしまう。まるで、へっぽこ剣士が、いきがって刀を振りかぶったその瞬間に、「喝っ!」と柳生十兵衛か誰かに一喝されて、腰を抜かす映画の1シーンのよう。

 部屋に誰もいなかったからいいようなものの、恥ずかしいやら、情けないやら、腹が立つやら。クソォ〜。

 今度はそうはいかんぞと、まさにつかみかかる迫力で、窓際までダッシュしたのだが、憎たらしい彼奴は、鉄格子を超えられないことを熟知していて、まるで「何しているの」といわんばかりのリラックスした表情で、こちらを眺めている。

 せめてビクッとでもしてくれれば、こちらの面子も守れるのだが。頭のいいやつのしぐさというのは、何とも腹の立つものである。

 そんな憎き猿をめがけて、野良犬がダッシュするのを、期待を込めて眺めていたのは、プーリーのホテルでのことである。

写真  ベンガル湾に面したプーリーの浜辺。見渡す限り人工物が何もない浜は、懐かしくも新鮮。

 話は少々前後するが、旅も後半でのこと。3階の部屋から見下ろしたホテル・ホリデーハウスの裏の空き地では、痩せた白い犬が、まるで自分がそこで一番えらいかのように、威張って時々パトロールにやってきていた。

 私は江戸の仇は長崎でと、空き地に猿を見つけると、犬よ来いと期待を込めてあたりを見回していたのであるが、いつもそういう時にかぎって、いっこうに現れない。

 けれど一度だけ、私の見ている時に鉢合わせした。猿が降りるそのタイミングで、犬が現れたのである。まさに、犬猿の中。けたたましい声とともに、犬は猛ダッシュ。

 「エエイッ やっつけろ!」と思わず手に汗握る。

 ところが何とあっけない、猿はひょいと塀の上に乗ると、もうそこから動こうともせず、いたってリラックスなのである。

 下で犬はしばらく叫んでいたが、次第によそをむいての空吠えになり、あたかも追い払ったぞと言わんばかりに、去って行ってしまった。どういうわけか、国会の風景を思い出してしまう。自分のことを棚にあげては言えないが、なんともだらしない。

 そんなお犬君のヒステリックな猛ダッシュを、もう一つ目撃したのは、2匹の猫がデートを楽しんでいた時である。何処からともなく現れたその犬は、かなりの至近距離から攻撃を開始した。

 砂煙を上げて逃げる猫。一匹は無事塀をくぐったのだが、後の一匹がそれを待つ分、一呼吸遅れてしまう。急いでくぐったのだが、お尻がまだ残っている時に犬が追いついた。

 さあ大変。今度は小さい猫に味方して見ていたのだが、残酷にもお犬君、猫の後ろ足に噛みついた。血で血を洗う光景が展開するのか…。

 ところが、後ろ足をかまれたその猫、目にもとまらぬ早業で、壁の向こうから上半身を翻したかと思うと、お犬君の鼻先に前足の一撃を食らわした。

 と、何と、今まであんなに威勢の良かった、お犬君。まるでビクターのマークのように、首を横に向け、目線をそらして、固まってしまう。当然のこと猫は悠然と去って行く。

 最後まで追い詰めないのが政治家の度量だが、噛みついてしまったとはお犬君、空き地の支配者としては少々勇み足か。

 それにしても、ただ固まるならまだしも、横を向いて目線をそらすそのお犬君の姿勢に、思わず吹き出してしまう。

 そう言えば修羅場に居合わせた仲間の、味方してくれるでもなく、ただ聞き耳を立てて固まっている、緊張した首筋の雰囲気も、そんなようだった気がする。動物も人も、性格というのは、そんなに変わらないのかもしれない。

 そんな性格を、シナリオに押し込めるではなく、実際に現場ですり合わせて秩序をつくるのが、インド庶民のならわしなのかもしれない。ちょうどこの空き地のように。

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第3章 インド再び
第3話 牛のように No.109No.109

 何とそのままの所に、そのままの姿勢で彼はいた。

 ヴァラナスィーの郵便局、手紙を出そうと行ってみたら、窓口の中は誰もいない。時計を見れば1時半、つい先ほどまで事務員のお尻を支えていたであろう、その置き去りの椅子を見つめて、じっと立つ若者は、2時までランチタイムだと言う。

 仕方がない、外でチャイでも飲んで時間をつぶそう。

 リクシャマンは、茶目っ気たっぷり。ヴァラナスィー、ゴードウリャー交差点付近にて。 写真

 何もすることのない、ただ待つだけの時間が、かなり長く感じた午後の2時、再び郵便局に戻ってみると、何と彼は、同じ姿勢で同じ所にへばりついていた。違うのは、まわりに4,5人群がっていることだ。

 「ずっと待っていたの?」

 思わずそう聞いた私に、当然といった表情。考えてみれば何処で時間をつぶそうと同じことなのだが、誰もいない窓口で、ただただ置き去りの椅子を眺めて、30分以上じっと待ち続けることに、なんの苛立ちも感じないのだろうか。別に順番を確保しているというわけでもないようなのに。

 2時が少し過ぎた頃、やっと女性が窓の向こうに現れた。一斉に、ぐいぐいと、あちらからこちらから、手に手に紙切れや手紙を持った逞しい腕が、ガラスに開けられた20cm程の窓に、突っ込まれる。

 それでも一人が、横から手を伸ばした男に怒鳴っている。言葉はわからなかったが、順番を守れと言う場面である。けれど、そう言う彼も、誰もいない時からそこで待っていたその彼を押しのけて、腕を突っ込んでいる。

 「順番?何それ?食べるもの?」そんな質問が返ってきそうな、窓口の人だかり。たとえ咎められたとしても、誰もズルをしているなどとは、感じていないのであろう。

 怒鳴った彼が、もし私の想像どおり「順番を守れ」と言ったのだとしても、恐らくそれは、我々の言う「順番」とは少し意味が違うのだろう。ひょっとしてそれは、「俺の前に来るな」といったような意味なのかもしれない。

 椅子の上が空だった時は、おとなしくそこに待っていた彼らも、がぜん活気づき、彼女の気を引こうと、持っている紙を、窓口の向こうでヒラヒラさせる。

 けれどその彼女、そんな騒ぎに見向きもせず、タイプの調整に余念がない。どうやら調子が悪いらしい。

 そのうち仲間の男がやってきて、ドライバーでカバーを開けて、なにやらいじり始めた。

 どれぐらいそんな光景が続いたか、やっと応対をはじめた彼女に、郵便物を渡した一本の腕が引き抜かれる。

 すかさず、私の腕をつっこむ。負けてはいられない。前に進むことが出来れば、前に進み、阻まれれば、そこで止まる。そこに余裕があれば、そこにすべり込み、そこに隙間があれば、そこに突っ込む。それがインドの順番だ。

 そんな腕の何本かの要求が満たされた後、やっと私の番がきた。その私のはがきをチラッと見た彼女は「ファイブ」と一言いって、机に向かった。

 「パードン?」 聞き返す私に、もはや見向きもしない。まったくの無視。なんのことやら。

 インドはおうおうにして、役所の人より、みんなのほうが親切だ。「5番の窓口だよ」 一緒に手を突っ込んでいた男が、そう教えてくれる。

 「5番? 本当?」 少々疑わしく思えたが、やっと確保した窓口の隙間から手を抜いて、5番の窓口へ行ってみた。

 と、そこに待っていたのは2人だけ。ポンポンと判子が押されて、はい終わり。何ともあっけない幕切れ。もっと早く言ってくれよと文句の一つも言いたくなる。

写真  人々ばかりか、垂れ幕もにぎやかな、ヴァラナスィーの大通り。

 そんな思いに苦笑しながら、おかげで遅くなった昼食に、インドで数少ない私のお気に入りメニューの一つ、ビリヤーニ(焼き飯)を注文し、レストランの階上から、下の通りの賑わいを眺めていると、ゆっくりと人々に混じって歩いてきた牛は、入り口に何か美味しそうなものでも見つけたのか、スーッと吸い込まれるように、店に顔を突っ込んだ。

 ここヴァラナスィーでは、牛は依然、神の化身である。けれど店の主人、神より金が大事なのか、手を振り上げて牛を追い払おうと声を張り上げる。

 しかしそんなことでは動じはしない。何しろ相手は神なのだから。いやいや、牛に所有権や優先権を説いた所でせんないものと言うべきか。

 やはり店主の挙げた手は格好だけ、さすがに神には乱暴出来ないのだろう。その代りグイと首のあたりを、体当たりで押し出す。

 牛は方向を変え、そのままゆっくり歩き始める。未練たらしくふり返るようなまねは、そぶりすら見せない。もう別の世界にいるのだろう。

 いっさいの執着を知らない、まるでサハラの砂のように、サラサラな心ではないか。そんな芸当を、我々が少しでも身につけていたら、どんなに心は平和なことか。

 そりゃ、今を決めるには、過去の記憶や未来の予測は重要だけれど、ひとたびサイが振られれば、後はなるようにしかならないのだから。どうあがいても、時間は確実に刈り取られ、最後に命も刈り取られるのだから。

 窓口が閉まっていたら、じっと開くまでそこで待つ彼、――あれこれと気をもむことなく。窓口に隙間があれば、当然とそこに手を突っ込む人々、――あの人の後で、この人の先だからなどとわずらうことなく。そして、執着こそが苦の根源と説く仏陀――それから離れることを諭して。

 何だかインドの人達の振る舞いが、その牛に象徴されているように思えてしまう。やはりあの牛はインドの神の化身なのだろうか。つまりインドの精神の。

写真
 何を思うか、ガンガーを見つめる、神の化身。
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第3章 インド再び
第4話 リクシャマン No.110No.110

 ハンドルを握る手に力が入る。サドルから少し浮かした腰、それからのびた逞しい足、その足に踏みしめられたゴム草履の下で、ギリギリとペダルがきしむ。

 洗いざらしで、所々ほつれたシャツが、汗で背中にへばりついている。頭に巻いたボロ雑巾のような布で、すばやく顔の汗をぬぐったかと思うと、再びグイとハンドルを握りなおし、右の足に力を加える。

 けれどまるでスポンジに水が吸い取られるように、ペダルに加えられた力はどこかへ消えさり、気の毒なほど加速しない。乾燥しているとはいえ、3月のガヤの陽射しは、日本の真夏のようにきつかった。

写真  乗らないより、乗った方が、彼らの稼ぎになるのだけれど、こういう背中を見ていては、どうも気持が落ち着かない。

 のんびりと町を見物するには、リクシャは大変良い乗り物なのだが、ある面、私はあまり好きではない。

 というのも、そんな背中を見ていると、なんだか悪いことをしているような気持ちになってしまい、どうも落ち着かない。

 けれどインドの人達は、この点けっこう平気なようだ。座席に山のように荷物を積んだ上、自分もデンと座り込んで、前でもがくリクシャマンを見ながら、当然といった平和な雰囲気で乗っている。彼はこぐ人、私は乗る人、世界が全然違うかのようだ。

 けれど、けっこう冷たいと、職場では言われた私ではあるが、なかなか彼らの真似は出来なかった。坂でリクシャマンが自転車を降りて、引き始めたりすると、ついつい降りて歩いてしまう。

 果たしてそんなことを、彼らが喜んでいたかどうかは知らない。ひょっとして、プロのプライドを傷つけられたと、苦々しく思っていたかも…。

 けれどどうしても、気持ちを相手に移してしまう。しかもそんな苦労の稼ぎが、わずか5ルピー(15円)なのである。なんとも世の中…。

写真  ペダルを踏みしめるリクシャマンの足。リクシャは大変重宝する乗り物ではあるが…。

 「10ルピー、OK?」

 ペダルをこぎながら、彼は体を捻ってふり返ると、そう言って値を吊り上げた。

 「えっ、何だって、5ルピーと何度も言ったでないの。」

 私はへそ曲がりなのだろうか、それとも根っからのケチなのか。料金を倍に吊り上げる彼の一言で、それまで見ていたリクシャマンへの同情の景色は、1円たりとも負けてなるものかという気持ち一色に、塗り替えられてしまう。

 値段を負けることは、勝負に負けることのような気持ちにでもなるのだろうか…。

 このガヤの駅から、ブッダ・ガヤまでは、バスでだいたい小1時間かかる。そのバスの発着するゼラスクール前まで、リクシャの相場を聞いたら、5ルピーだとホテルの人が教えてくれた。

写真  ブッダ・ガヤ、マハーボーディ寺院。釈迦がその下で悟りを開いたという、菩提樹わきには、高さ52mという塔が建てられている。

 さっそく居合わせたリクシャマンと交渉をしてみたら、10ルピーだと言う、外人料金は別だと言って。

 リクシャはたくさんいる。さっさと交渉を打ち切り、他のリクシャマンへと移ろうとすると「OK、OK」と着いて来た。それならと、何度も念を押したはずだ。

 それなのにまたぶり返す。駅前を離れ、もう歩いて戻るには少々遠くなった頃を見計らっての、値の吊り上げである。魂胆は見え見え。とんでもない。

 「ノー」と突っぱねていると、とある学校の横で、ここがゼラスクールだと言ってリクシャを止め、5ルピーを要求してきた。

 確かに学校のようだけれど、バスの気配が全然ない。それに学校の何処にも、ZILAの文字が見当たらない。どうもおかしい。

 「バスは何処?」そう聞く私に、「バスはない、バス停までは此処から4km、もう10ルピー出せと」言い始める。

 そんなはずはない、ガイドブックのみならず、ホテルの人にも確かめた。

 「本当にゼラスクールか?」

 「そうだ」

 さてどうしたものだろう。一思案の後私は、面倒だったけれど、リュックを肩にかつぎ、鞄も持ってリクシャを降りた。

 私はタクシーに乗る時も、相乗りで場所がないとき以外は、荷物はトランクへ入れないようにしている。トランクに入れていると、それを人質に取られているようなもので、交渉が決裂した時に、さっさとさよならすることが出来ない。

 人質はこちらがとるべきだ。私は料金は払わず、確認するから待っていてくれと言って、あたりを見回し、ちょうど通りかかった紳士に聞いてみた。

 「違います」それが彼の答えであった。

 「オイッ、違うと…」

 あれっ、いない。ふり返ったそこに、先ほどのリクシャがいない。

 見回すと20m程先を、かなりのスピードで走っている。嘘がばれて逃げ出すとは、ちょっとインドでは不似合いな光景だが、よほどその紳士が、恐ろしい人だったのだろうか…。仕方がない、別のリクシャをつかまえねば。

 代わりのリクシャは、すぐに見つかった。ゼラスクールまで5ルピーと言ったら、二つ返事でOKした。恐らく半分くらい来ているはずだ。彼にとっては、少しいただきの距離だったのかも知れない。

 再びリクシャの人となった私の後ろに、何処からともなく彼が現れた。ふり向くと5ルピーよこせと言う。冗談ではない、文句を言いたいのはこちらの方だ。

 実は少々《ただ働きは可哀相かな》という気持ちも、無くはなかったが、受け取らずに逃げたのは彼の方だ。筋を曲げるわけにはいかない。「ノー」と突っぱね、知らん顔していると、またどこかへ消えてしまった。

 けれどどういうわけか、ゲームに勝った時のような、爽快な気分になれなかったのは、彼に一銭も渡さなかったことで、どこかに弱い者いじめをしたような気分が、残ったのだろうか。

 釈迦がその菩提樹の下で、悟りを開いたと言うブッダ・ガヤで、わずか5ルピーに執着する、悟りには程遠い私であった。

写真  マハーボーディ寺院の蓮池のわきに脱がれていた、沐浴者の靴。この上に、どんな生活があるのだろう。
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第3章 インド再び
第5話 前正覚山 No.111No.111
写真  干上がったブッダ・ガヤのネーランジャラー川から見た前正覚山

 山の上まで登ったからといって、仏陀にたどり着けるわけではないのだけれど、どうしても一番高い所まで登ってみたかった。

 高さは200m程だろうか、ブッダ・ガヤからは、かすんで見えた山も、水の涸れた川床を越え、日干し煉瓦の製作を見、いくつもの麦畑を抜けて、更にもう一つ川床を越えると、ゴツゴツとした岩肌をむき出しにしたその姿を、あらわにさせた。

写真  干上がった川床も、少し穴を掘ると水がわく。麦畑も青々と実って…。

 勿論ハイキングコースなどではない。釈迦が六年間そこで苦行をしたというが、苦行で悟りを開けなかったとされるせいか、菩提樹の下とは違って、今はよほどのもの好きでもない限り、登る者などいないのだろう。

 当然道などない。いやどこかにあったのかもしれないが、見渡す限りそのような気配すらない。私は手でつかむのも痛いような、ゴツゴツとした岩肌の上を、四つん這いに近い格好で、登っていた。

 ひと岩、そしてまた、ひと岩。振り返って見れば、たいしたことはなくても、進路を手探りで進むというのは、結構な冒険である。

 ひと岩よじ登るのはいいが、はたしてその先進めるのやらと、不安にかられてしまう。それに足の裏には目が無いので、降りるのは登のよりむつかしい。

 こんな人気のない所で、登るに登れず、降りるに降りられず、なんて事になりでもしたら、悲劇というより喜劇である。けれどやっぱり途中でやめるのは気持ち良くない。

 一番上まで行って、登ったという気持ちの区切りをつけたかった。ここいらで登ったという事にしたとしても、誰も文句はいうまいにと、我ながらそのこだわりに呆れつつ。

 そんな思いで登った為だろうか、何もない頂上ではあったが、登りきった時には、遠くにブッダ・ガヤを見、とても気持ちの良い気分に包まれる。

 けれど、釈迦が6年間苦行をした所と聞いて、なんとなく神秘的な所のような印象を、かってに持ってしまっていた私は、思いのほか人の生活を、身近に感じることが出来るような頂上の印象に、少し意外な思いを持ってしまう。

 2,500年前にも、釈迦にミルク粥を与えたという娘スジャータのいたセーナ村はあったはずだし、川の近くには、今のようではないとしても、きっと畑もあったことであろう。もしそこで人々が、畑仕事でもしていれば、点のようではあるとはいえ、人の姿を確認できたはずだ。

 それに、このような禿山では、木の実や谷の水で生活するというわけにもいかないから、いくら苦行といえども、何らかの食料を、村の人から提供されていたのだろう。

 それとも今の景色からは信じられないが、この山は鬱蒼とした森の中だったのだろうか…。

 ゴツゴツとした山頂の岩の端で、それでも比較的滑らかな所を選び、瞑想のまねをしてみた。あぐらの上に手を乗せ、ゆっくりと息を整えて…。

 釈迦の苦行の現場、前正覚山は、その静けさが重たく感じられるほど、ただただひたすら、静かであった。その静けさに包まれて、思いも自ずと沈殿し、自他の境も何処かへ消えてしまいそう。

 どれくらいそうしていたのであろう、目を開ければ、コンドルのような一際大きな、背の白い鳥が二羽、ゆっくりと眼下に舞っていた。

写真  ゴツゴツとした岩山、前正覚山頂上から見た、ブッダ・ガヤ方面。二本の白く見えるのが、川床。その向こうがブッダ・ガヤ。

 釈迦の悟りの地ブッダ・ガヤは、訪れる旅人皆それぞれに、何らかのそんな体験をさせたのだろうか。

 薄暗いガヤの駅前のレストランで、カルカッタへの夜行を待つ、日本人の若者は、コミック文化のイメージに似合わず、誰もが真剣に人生を考えていた。

 よく「最近の若者は…」という言葉を耳にすることがあるが、旅で出会う若者のほとんどが、真剣に人生や世間と向き合っているその姿は、敬意を表したいくらいである。

 むしろ問題は、彼らにしっかりとした自分の個性を、一つのサンプルとして、自信を持って提示出来る大人が、身近に少ないことなのではないだろうか。

 「知識に関しては、先生が上で、生徒が下です。けれど《その知識を何に使うのか》 《それにどのような意味があるのか》といったことは、先生も生徒も、あるいは老いも若きもなく、それぞれ同じ重さの考えだと思いますよ。

 そこでは、教える教えられるではなく、貴方の生き様をひっさげての、生徒達との真剣勝負ではないでしょうか。先生として出来る事は、そんな場をつくる事でしょうかね。」

 私は、中国を回ってインドにやって来たという女性の、不安とも疑問とも取れる問いに、そんなことを答えていた。彼女はこの4月から学校の先生になるのだという。

 横の男性は、蚊に食われた足首を、血の出る程かきむしりながら、時々聞き入り、そして時々、自分の意見を言っては、何やら、さかんにノートに書き込んでいた。

 普段なら日常のお決まりの中で、水に落とした油のように、なかなか混ざり合えないそんな会話も、見ず知らずのもの同士、何の違和も感じない、ガヤの駅前であった。

写真  ブッダ・ガヤの雑貨屋
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第3章 インド再び
第6話 エアコン列車 No.112No.112

 子供がその膝を、まるで宇宙の台座のように思っていたとしても、不思議ではない。カルカッタのハウラー駅を、ほぼ定刻の午後1時半に滑り出したコロマンダル急行で、心身ともに一番堂々とリラックスしていたのは、その大きなお母さんなのだから。

 けれどそのお母さん、切符はウエイティングで、空きがあれば座れますという代物だ。

写真  南インドの大都市マドラスの中央駅、チェンナイ・セントラル。カルカッタの南、1,663kmである。

 インドではじめて体験する、エアコン列車。外からのチャイ売りやスナック売りが乗り込んで来るということもなく、係員の販売する水やお菓子も列車だからといって特別高いわけでもない。それに食事の注文もとりに来て、サービスもなかなかのもの。

 そんな列車がハウラー駅を出て、まず初めの駅で乗り込んできたのは、細身の体に白いワイシャツを着流し風に着、大きなトランクを持った白髪の御老人。私の隣の席を確かめると、座席の下にそのトランクを詰め込み始める。

 下には既に、もう一人の荷物の他に、私のリュックとカメラバッグが置いてあり、トランクを横に向けたままでは入らない。けれどその御老人、必死になって押し込んでいる。

 勢いをつけてもだめなら、バンバンと端をたたいて。「縦にすれば…」そういう私の言葉が通じないのか、チラッと冷たくこちらに目を向けただけで、ひたすら押し込む。気の毒なほど必死になって。

 どのくらいそんな格闘が続いたか、ついに彼はそのままで押し込んでしまった。初志貫徹といおうか、ご立派といおうか…。あきれる思いを胸にしまう。

 けれど人ごとのようにも言っていられない。押しつぶされたカメラバッグが心配である。荷物を置き終えたその御老人、一段落しホッとしたのか、都合よく何処かへ出かけて行った。トイレだったのだろうか。

 私はすかさずしゃがみ込み、荷物の間に手を突っ込んでみた。案の定、カメラバッグはキュウキュウの状態に押しつぶされている。これは大変。

 躊躇なく苦労のトランクを引き出し、縦向きにして押し込んだ。何のことはない、すんなり入るばかりか、余裕の隙間。

 そんなことを知ってか知らずか御老人、帰ってきた後もそのままの状態で終点まで。〈あの格闘は、いったいなんだったのだ!〉―――そんな思いも胸の中。

 ところでその御老人、席に戻ると、咳をし、鼻水をすすり、寒そうに身を縮め、二の腕をさすっている。エアコンが効きすぎるのである。私は上着を着ていてちょうど良いくらいだ。

 寒そうに、天井を見上げ、窓を見、体を捻って、背もたれを見ていた御老人、やおら立ち上がり、何をするのかと思えば、そのワイシャツを脱ぎ始めるではないか。何か厚手のものにでも着替えるのであろうか。

 いや、薄よれのアンダーシャツ一枚になって、寒そうに肩をすぼめてそのまま座った。何をこの人はと、観察するに、どうやらワイシャツが、座席で汚れるのを心配したようである。窓際のフックに丁寧に吊るしていた。

 〈そのワイシャツ、そんなにきれいかい?〉 喉まで昇るそんな思いも、胃袋の上あたりに噛み殺して胸の中。それにしても寒そう。

 次の駅だっただろうか、乗りこんできた3人家族は、座席指定の乗車券であった。切符の番号を確かめた席は、我々の向かいである。そう、あの大きなお母さんの、堂々と座る席。

 しかしそのお母さん、席を立つどころか、身一つ縮めようともせず、相変わらずのリラックスで彼女らを迎えている。そればかりか、その家族も、文句一つ言うのでもなく、むしろ遠慮がちに、肩を詰めあい、お腹を詰めあい、膝を詰めあい、和気あいあいの4人掛け。

 分け合うのは良いことだけど、なんか納得のいかない胸のモヤモヤ。

 もしも、突っ込みのない漫才を聞かされたとしたら、こんな欲求不満のイライラに、きっと身もだえするに違いない。

 マドラスまで983ルピー(24ドル)のAC車両、その強すぎるエアコンは、人の気持ちも冷やすのか、あの好奇心の塊のような、フレンドリーすぎるほどの人々に囲まれての、2等車の旅とは違って、見合す顔も少々よそよそしく、モヤモヤもそのままに。

 英語の通じる隣の人とも、さらっとした通り一遍の会話の後は、だんだん口が重くなり、次第に手持ち無沙汰になる。

 知り合いとでも同席していれは別だが、ほとんど話すこともなく、気をまぎらす物も何も持たぬエアコン列車は、体は楽とはいうものの、精神的にかなりまいるものがある。

 かといって、昼夜を越えて2等に頑張るというのも体が疲れる。カルカッタに戻る時は、何が何でも、何処かで小説か何かを手に入れねばなるまい。

 そんな決意の私を乗せて、列車がやっとマドラス駅に滑り込んだのは、次の日の夜の9時であった。カルカッタを出てから、実に31時間。

 やれやれと背を伸ばし、薄暗いホームに降りた私を、ムッとむせかえる蒸し暑さが包む。

 寒いほどのエアコンに慣れていたせいもあって、その不快さはたまらなかったが、閉ざされていた空間から解き放たれたようなホームの雑踏は、むしろ快くさえあった。

 手に手に荷物を持って、ゾロゾロと出口に向かうその人ごみの中に、リュックで重さを加えた足を、私も踏み入れた。

 インドもここまで来ると、人々も手首足首の細長いスリランカで出会ったようなスタイルの人が多くなる。「ルパン♪ ルパン♪」ついつい昔見ていたアニメの主人公の細長い足首を、主題歌とともに思い出してしまう。

写真  マドラスの南西77kmのカンチプラムで、祭りを練り歩く人々。スリランカで見かけたような、手首足首のほっそりとした人が多いように思えて…。

 そんなすらっとした人々に混じって、10m程先を、あたりを見回しながら歩いている、日本人スタイルの青年を見つけた。日本語が喋れる!さっそく早足で近寄り、声を掛けた。

 彼もやはり息が詰まっていたのだろう。オートリクシャを割り勘で乗り、見つけた160ルピー(4ドル)のダヤル・デ・ロッジのテラスで、シャワーを浴びたとはいえすぐに汗ばむ蒸し暑さの中、蚊を気にしながら、熱いインスタントコーヒーを飲んで、沈黙の31時間を取り返すかのように、話し込んでしまった。

 「そろそろ寝ようか」そう言って別れたのは、一時近くになっていた。湿度計は80%を指している。室温はまだ30℃、ムシムシの南インド。

写真  カンチプラムの町角に張ってあった映画のポスター。インドの美男美女なのでしょう。男が少しふっくらして、眼鏡をかけているのは、豊かさと知性の象徴なのでしょうか。
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第3章 インド再び
第7話 カーンチプラム No.113No.113

 何と危ない。

 あたためられた地面にむせかえる午後。湯気昇る黒いタールに、轟々たる騒音。その上を前後に動くローラーに、一人の女がまとわりついている、ゾロリとしたサリー姿で。

 南インド、カーンチプラム。暑くてとても眠れないのではと心配したが、マドラスより少し内陸に入っているためか、朝方足を蟻に噛まれ、その針で刺すような痛みに目が覚めるまでは、意外にぐっすり眠れたようだ。

写真
 カーンチプラムの目抜き通り。牛も角をカラフルに飾られて、現役で大活躍。この角の大きな牛は、神の化身ではないのでしょう。

 室温29℃、湿度74%、結構過ごしやすい朝に気をよくし、朝食用のテーブルの上のパンを見て驚いた。蟻が群がっているではないか。

 仕方なく、朝食はインスタントラーメンにした。3個入り27ルピー(75円ほど)で、昨日近くのスーパーのような店で買っておいたものだ。よく見ると、TopRamenなるロゴの上に、NISSINなるマークが入っている。

 おやっと思って、裏の広告を読めば、「日本では、1958年以来つくられている…」と宣伝が入っていた。なんと日本の日清ラーメンだ。久々の味かとの期待に胸ふくらませたが、中身はやっぱりカレ〜味。

 そんなカレーを朝から食べたせいでもなかろうが、街から南東へ3km、ヴァラダラージャ寺院まで歩いた頃には、日本の真夏を越える暑さに、汗が噴き出していた。

写真  シバ神を祭ったエーカンバレシュワラ寺院の塔門・ゴープラム。この様式の塔門は、ドラビダ建築の寺院ではよく見かけた。

 ドラビダ建築の見事な塔門・ゴープラムの、ヒンヤリとした空間をくぐり、椰子の木を思わせる、4本のひょろ高い石柱で支えられた塔を右に見て、96本の美しい彫刻を施された柱のお堂に裸足で入ると、どこからともなく男が現れ、ガイドを買って出た。

 いつもなら断るところであるが、彼の英語が、ちょうどそのヒャッとした空間にも似て、歯切れよく聞き取りやすかったので、そのまま続けてもらって、しばらく涼しい中で、妖艶な石像の姿を楽しんだのだが、その横の、四角い沐浴池に行った時には、裸足の足で歩く敷石の上は、「アチッ、アチッ、アチッ」、まさに火の上のフライパン。思わず足の裏を丸めて飛び跳ねてしまう。

 そんな暑さの漂う午後、彼らは働いていた。朝の食パンに群がる蟻の右往左往を思い出させる、その喧騒。

 きちっと区分けした中で行われる、日本の道路工事の風景に見慣れていると、少し信じがたい光景なのだが、やっぱりインドの人達は、「整然」とか、「雑然」とかいったことに、我々とはまったく違った世界を、持っているのだろうか。

 そう言えば、ヴァラナスィーでは、同じ宿の女の子に誘われて、レストランでのシタール演奏を、ルンルンと聞きに行ったのだが、その音楽も私には、流れるように美しいメロディーでも、弾むように生き生きとしたリズムでもなく、高い音やら低い音、強い音やら弱い音、まるで人が突っ込み、リクシャが突っ込み、車が突っ込み、三輪が突っ込む、そんなインドの交差点のように思えたものである。

 ひょっとして、渾沌を心地良しとする気持ちでも、あるのだろうか。

 行く手をさえぎられ、けたたましく警笛を鳴らしていたバスが、めきめきとタイヤをきしませてすり抜けて行く。

 代わって目の前の混雑から顔を出したのは、荷台を高く上げた、緑色のダンプと、その後ろで大きく口を開けて、真っ黒いタールにまぶされた砂利を呑み込んでいる工事車両。

 その車両の横すれすれに、赤と青に角を飾られた牛が、御者の叫びにいそいそと、空の荷台を引いて、小走りに走り抜ける。

 問題のローラーは、その後ろで動いていた。通行人が、その間のまだ柔らかい舗装の上を、小走りに、あるいはゆっくりと、渡り過ぎる。

 けれどその女性、まるでローラーにサリーがひっかかっているかのように、その鉄輪にまとわりついている。なのにローラーの運転手は何も言わない。

 いったい何を…。

 よく見るとその女性、仕事中なのである。鉄輪にタールがくっつかないようにと、ローラーの脇に縛り付けた一斗缶から、空き缶で水を汲んでは、鉄輪に掛けている。

 動くローラーに、歩きながら手で水を掛けるというのにも驚くが、何もゾロッとサリーを引きずりながらすることもなかろうに…。

 想像してみてもらいたい。ムシムシする真夏の日本で、湯気の昇るタールの上を、振袖にたすきがけの女性が、動くローラー車の横を歩きながら、空き缶で水をかけている姿を…。

写真
 舗装工事風景。ごちゃごちゃに事をはこぶのがインドのならわしか。右が、ローラーに水をかける女性。

 その驚きのローラーの後から、もうもうと白い砂煙を上げるトラックが近づく。

 またまた何をと目を凝らすと、どうやら、舗装の後のタールがくっつかないように、粉を撒いているらしい。固まるまで待てというのはインドでは無理な話なのだろう。まだ撒き終わらぬ砂煙の中を、人が車が、通り抜ける。

 親子ほど歳の離れたトラックの上の女性二人は、そんな人などおかまい無しに、天高く白い粉砂を放り上げる。お互いに、なるだけ遠くへ撒き散らす競技に、熱中しているかのよう。

 あきれて見つめる私と、少女の目が合った。

 一瞬固まったその少女、笑顔にキラリと目を輝かせて顔を崩すと、よりいっそう張り切って、遠く高くへ放り投げる。

 宙を舞う白い砂埃、目をしかめる通行人。汗でべとべとの肌…。

 エエイッ、それがどうした!もっとやれぃ!こうなったらやけくそだぃ!

 私はインドが好きだ。

写真  何だか見ていて、楽しくなってきてしまい…。
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第3章 インド再び
第8話 マハバリプラム No.114No.114

 たたっ殺してやった。

 カンチプラムから東へバスで2時間半のマハバリプラム。粘りに粘って探した4つ目のビノダーラ・ゲストハウスは、2方向に窓があり、部屋も清潔で、250ルピー(6ドル)と、とても気に入ったのであるが、さすがに波の音が聞こえるほど海に近いせいもあって、潮風が粘っこく、風通しは良いとはいえ、とても快適とはいかなかった。

 寝る頃になっても、気温30℃に加えて、湿度が80%というと、横になった体の、ベッドにくっついている側は、ジトッと汗ばんできて、時々ベッドの位置を変えねばならない。

写真
 マハバリプラム海岸。筏のようなカヌーに腰掛けての夕涼み。正面が、海岸寺院。

 それでも少しは、うとうととしたのだろうか、手の甲にシカッと走るかゆみに目が覚めた。電灯をつけると、一匹の蚊が、重そうなお腹を抱えて、よろよろと飛んでいる。

 このやろう、この蚊取りの煙が目に入いらなんだかと、電光石火(のつもり)、両手でバシッとたたきつぶしてやった。

 その手の中で、無惨に赤くつぶれた姿を見て、ざまーみろと、少しは気持ちも治まったものの、喰われた後は、次第に膨れ上がり、なんともかゆい。

 これくらいの血、このかゆささえ残さなければ、いくらでもくれてやるものを。それにしても、どうしてこんなかゆさを残す種が、進化を生き残ったのだろう。ただおとなしく血を吸うだけの蚊が現れれば、そちらの方が、断然生き残るのに有利なはずなのに…。

 しかし待てよ、このかゆさは、蚊に責任があるというより、進化の中で、我々の種が手にした感知器なのだろうか。

 つまり、かゆさを感じる変種が、それだけ蚊を避け、病気に感染する確率も少なかったとも…。

 だとしても、この感知器、脳への通報が、いつも既に喰われた後というのは、なんとも情けない。

 私は、かきむしった手の甲に、石鹸をぬって、ベッドに戻った。気のせいでも、石鹸のアルカリ性は、かゆさを少しは抑えてくれるはずだ。

 けれどもうダメ、眠れない。ちょうど電車で居眠りをしている時のような、起きているのやら眠っているのやら、よくわからぬ状態のまま、朝を迎えてしまう。

 そんなイライラを引きずっていたのだろうか、その日の午後訪れたパンチャ・ラタ寺院では、《 このバカたれが!》と怒鳴りたい気持ちをグッと押さえていた。

 アルジェの苦行のレリーフ。幅29m、高さ13m。ガンガーがこの世に下りてきたときの物語を描いているという。 写真

 ここマハバリプラムに点在するモニュメントは、1984年に世界遺産に登録されているもので、波打ち際の海岸寺院は、残念ながら、風化が激しかったけれど、そこから500m程町に入ったところの、丘の岩全面に刻まれた、アルジェの苦行のレリーフは、インド独特の、隅から隅まで埋め尽くす構図に仕上げられた、見事なものであった。

 その横の、転がりそうで転がらない斜面の巨石、クリシュナのバター・ボールも面白かったが、丘の南へ15分ほど歩いたこのパンチャ・ラタ寺院も、目を見張るものがあった。

写真  クリシュナのバターボール。今にも転げ落ちそうな格好で、坂にとどまっている。その昔、象を使って動かそうとしたが、びくともしなかったという。

 しかもこの、それぞれ形の違った、5つの石の寺院は、何と岩をくりぬいたものであるばかりか、砂地の下では、一つの花崗岩の岩盤として、つながっているというから驚きである。

 更に、驚くのは、そんな貴重な遺跡の中に入ってきた若者の団体のうち、5、6人が、こともあろうに敷地内でクリケットを始めるのである。外にはいくらでも広い砂地が見えているというのに。

 クリケットというのは、野球とは異なるが、ちょうど同じくらいのボールを、ピッチャーが投げるのを、少し平べったいバットで守る、インドでは人気の球技である。

 想像してもみていただきたい。日本の奈良か京都のお寺を訪れた、修学旅行の高校生が、境内でバットとボールで野球を始めた光景を。いくらここのお寺は石とはいえ、彫刻の端にでもあたれば、いたまないとは言い切れまい。

 なんともたまりかねて、よその国とはいえ、ひとこと言おうかとイライラして見守る中、やっと係員らしい人が注意に来た。

 やれやれと胸をなで下ろしたのもつかの間、入り口近くに停まったバスからは、ドドドッと子供達がなだれ込んできた。

 その子供達の、はしゃぐことはしゃぐこと。キャァキャァ言って、石像に登り、寺院の柱に手をかけては、ぐるぐる回る。屋根の下の段にはよじ登り、滑り降りる。元気なのは結構だが、《遊園地ではないぞ!》と、叫びたくなる。

 パンチャ・ラタ:五つの寺院。全部が一つの巨大な花崗岩であるというから驚きである。 写真

 まったく、付き添いの先生は、いったい何をしているのだろう。おまけに人が写真を撮ろうと構えている前に来て、邪魔をしてどこうともしないのがいるかと思えば、人を見ると"Hello pen?"と言ってくるのがいる。

 悪いのは安易にボールペンを与える旅人の方だとはわかってはいるものの、《 私はペンではない!》と口の中で言い返す。

 ちょっと英語を覚えた子は、"What's your Name?"とくる。《 何であんたに尋問されねばならないんだ!》と、腹で叫ぶ、顔はやさしい大人を演じても。

 6年前の旅では、インドの子供達の、この人懐っこい積極さが、素晴らしく、また楽しく思えたものだが、どういうわけか今回は、うるさく思う時が少なくない。

 怒鳴りつけても、人の道を教えてやりたいような衝動にかられ、イライラしていたのだが、ふと思うことがあった。

 我々が空気のように当たり前に思っている、「人に迷惑をかけないような人になろう」という価値観は、ひょっとして、かなり日本的な特徴なのではないだろうかと。

 人は人と関係をもってしか生きていけない以上、どんな文化でも、どこかで何かを我慢するシステムを持っていることであろう。

 けれどその我慢を、価値ある美徳と思い込むか、とんだ災難と考えるかで、その人の振舞いも、かなり変わってくるように思える。

 ひょっとして、私が感情的にまでなる原因は、そういった価値観の思い込みにも、あるのかもしれない。

 確かなことは言えないのだけれど、そう思うと、自分のこのイライラの正体が、なんだかわかるように思えて、少し落ち着くのであった。

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第3章 インド再び
第9話 帰りよいよい No.115No.115

 あの青年は、今ごろアジャンタだろうか。

 同じホテルの同じテラスが、今度は何故か少しセンチな雰囲気で私を迎え入れた。

 あの31時間の列車の後、夜の1時近くまで話し込んでしまったマドラスのホテル、どうやら、《一人でいる》ということと、《一人になる》ということは、違うことのようだ。

 一週間前は、やれやれと安堵の気持ちの舞台であったこのテラスが、旅の感傷を演出する背景に変わっていた。

 旅立ちは常に次への出発なのだが、同じ所に舞い戻ってみると、それがまた、別れでもあったことに気づかされる。ネスカフェの味も、何がしかキリマンジェロのように酸っぱい。

 けれどふり返ってばかりもいられない。今回は少し手前で降りるとはいえ、明日はまたあの列車である。しかも今回は、2段ベッドのコンパートメント。より紳士的な空気が予想される。何としても小説を手に入れねばなるまい。

 ところが、やっとたずねあてた目抜き通りのアンナサライの本屋は、日曜日で休みだという。そればかりか、トマスクックとアメックスも休みで、両替もままならない。

 おまけに、明日の移動を控え、しっかりと腹ごしらえをしようと、立ち寄った重慶なる中華レストランも、6時まで閉店となっている。

写真
 どういうわけか、閑散としていた、マドラスのメインストリート・アンナサライ

 まったく、日曜だというのにやる気ないのかと、ぶつぶつ言いながら歩いて戻ったのだが、隙間を隈なく埋め尽くすというインドの心は、何も芸術の構図に限ったことではないのだろう。

 人々が、宿を求める所に宿はあり、足を求める所にリクシャは待ち、お腹のすくところに屋台が出る。誰かが休めば、誰かが営業する。

 マドラス駅前の通りの、ずらりと並ぶ出店の一角には、腰の高さほどの箱代の上に、こぼれんばかりに英語の本が積み上げられていた。

 あまり期待はしなかったのだが、いくつかを手に取ってみたら、読みなれたシドニーシェルダンの本がある。

 普通なら、辞書無しでは読めない私も、彼の本は比較的読みやすい。白い表紙の上には、The Best Laid Plansとある、読んだ本ではない。

 値段は新品で50ルピー(1.2ドル)だという。「安くならないか?」とは一応言ってはみたものの、考えてみればとても安い。

 本当に新品かどうかはわからないけれど、日本の本屋では、だいたいみんな千円は越える。それに、安かろうが、高かろうが、明日の移動には必需品。私は彼の言い値の50ルピーを渡していた。

写真  マドラスの街の交通を、りりしく整理する婦警さん。見ているだけのようにも見えたけれど…。

 次の日の朝8時半、コロマンダル急行は、既に1番ホームに待機していた。さっそく乗り込んで、目的のコンパートメントに入ると、マハバリプラムの燈台で出会った日本の若者が、私を見上げた。

 「やあ」

 まるで、古くからの友人に出会ったよう。だいたい旅行者は、外人専用窓口で切符を買うので、同じ席になることが多い。なんともラッキー、これで来た時のようなあの窒息状態は免れる。

 そんな安堵の気持ちを乗せ、列車はほぼ定刻の9時10分、チェンナイセントラルのホームを静かに滑り出す。

 「自分が何者かが、今一番知りたいことです。」

 列車の揺れに任せて、話が弾む中、若者はそう言って、まじめな表情をつくった。川崎の学生さんだという。

 実は私も学生の時、何よりもそれが一番知りたかったことである。

 「自分が何者かは、自分では、結局わからないと思いますよ。カメラはカメラを写せませんから。どこかで、エイッヤッと決めて、本当にそうなのか試してみるしかないのではないでしょうかね。まあ、いうなれば、近似値の精度を上げていくようなものでしょうか。」

 客観的にみればかなり無責任な話かもしれないが、結局それが私のつかんだ答えである。何だか昔の自分と話をしているような錯覚を覚える中、すっかり時のたつのを忘れていた。

 おまけに向かいのインド人家族の奥さんが、これまたきれいな英語で気さくに話し掛けてくる。おかげで、何が何でもと、小説を手に入れた心配をよそに、あっという間に列車は、闇の中を走っていた。気分によって、時間のたつのはえらく違うものである。

 次の朝、目が覚めれば列車は薄明かりの中に停まっていた。時刻は5時、うす汚れた窓ガラスの向こうの景色は、どうも駅ではないように見える。

 それに、下車駅ブバネシュワル到着は、時刻表では5時40分になっている。どうせ、1〜2時間は遅れているだろう。まだまだ大丈夫。そう思って、横になっていたのだが、なかなか動き出そうとしない。

 駅でない所に、こんなに長く停まるというのも妙だ。私は確かめるべく乗車口まで行って、扉を開けた。

 するとそこは、夜明けの薄明かりの中で、所々の電灯に照らされた、閑散とした駅のホームであった。

 その所々に乗客が、発車までのしばしの時間を、揺れぬ大地を楽しむかのように立っている。私も降りてみた。寝起きのけだるさを、みずみずしい朝の空気が包む。

 体を伸ばし、その空気を胸一杯に吸い込む。もぎたての一日の感触。

 近くでタバコをくゆす男に駅名を聞くと、ゴールドステーションとのこと。中の時刻表で何処だか確かめてみようと、戻りかけた乗車口でもう一人に聞いてみた。情報は少なくとも複数から、それがインドでの鉄則。

 「クールダ・ロード・ステーション」歯切れのいい発音である。

 「ありがとう。えっ」

 クールダ・ロードは、下車駅ブバネシュワルの一つ手前ではないか。クールダ・ロードまで来たら下車準備と、前日頭に叩き込んでおいた地名である。確か時刻表は5時となっていたはず。

 何と、列車は一分もたがわず走っていたのである。こんな事があるのだ。インドで始めての体験。大げさに聞こえるかもしれないが、二度と走らない記念列車に乗ったような感動を覚えずにはいられなかった。

 ところで、もうこんなことはないだろうと思っていたのだが、プリーからの列車も、ぴたりと時間どおりにカルカッタハウラー駅に滑り込んだ。

 インドで何かが変わりつつあるのだろうか。少々気味悪くさえあったと言えば、失礼だろうか。

写真
こちらは昔ながらの漁なのでしょう。
夜明けのマハバリプラム。
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第3章 インド再び
第10話 コナーラクの微笑みは No.116No.116

 改めて言うまでもないのだけれど、表情というのは、心の動きを如実に表すものだと思う。

 我々が人と話している時、意識は顔をみていると思っているのだが、その実かなりのところ、そこに現れている、その人の心を見ているのではないだろうか。

 日々の化粧に余念のない女性の方は、その点どのように思っておられるのだろう。私はむしろ半分以上、その化粧の向こうの心の表情に、人は喜び、魅せられ、あるいは安堵し、あるいは落胆させられているように思える。

 もし、化粧に生身の人を美しくする力があるとすれば、それは、装うことにより手にする、心の何がしかの自信の輝きに負うところが、多いのではないだろうか。

 コナーラクのスーリャ寺院。果たしてそうしたいつもの習慣からか、心などない石像に、少しHな下心を感じてしまう。

 まさに時刻表どおり、驚きのコロマンダル急行は、5時40分、ブバネーシュワルのホームに滑り込んだ。

 向かいのインド人家族に挨拶し、青年と握手をして別れた私は、リクシャで行ったバスターミナルから、プーリーへのバスに乗ったのだが、次第にすし詰め状態になってきたそのバスの中、一人の男が、ドライバーの真後ろに座っていた私の前で、まるで曲芸士のように、体を捻り、首を捻って、腰をかがめる。

 何をするのかと見ていたら、運転席を囲ったパイプの枠と、中の背もたれとのかすかな隙間に、体をねじ込ませているのである。

 その姿、決して楽そうにも見えないのだけれど。こうなると、インドの人たちは、快適を求めて座るというより、隙間があったら、埋めずにはいられない強迫感にでも、襲われているのではないだろうかとさえ思ってしまう。

 そんな気合で詰め込まれた、次のプーリーからコナーラクへのミニバスは、途中の踏み切りで、止められ動こうとしない。

写真  コナーラクへの道。牛が勝手に荷を引いているのかと驚いたが、干草の後ろに御者はいた。まさに快適自動走行車。

 動いているのならまだしも、座席から通路から、身動きならぬまで詰め込まれたミニバス後部座席は、温度の急上昇もともなって、いたたまれない。

 何とか我慢していたのだが、閉鎖恐怖症の発作でも起こしそうな、いても立ってもいられぬパニックに襲われて、出口へともがいた。

 そう思っていたのは、私だけではないようだ。その前も、その横も、出口へともがきはじめる。まるで堰を切ったように、半分以上の乗客が、前のドアからはじけ出て、思い思いに踏み切りの開くのを待った。

 10分、20分、そんなに車の通らない、コナーラクへの道も、次第に車の列が出来る。

 どのくらいそうしていたであろう、突如遮断機が上がる。列車も何も通過していないのにである。

 1台、2台、車が踏み切りを渡る。狐につままれたように顔を見合わせていたミニバスの面々も、急いで元の席にもぐり込む。皆怒るというより笑っている。

 私も、何か言いたそうに私を見つめるインド人と、思わず鼻をならして苦笑してしまう。

 そんなことで、結構遠く感じたコナーラクであったが、バス停広場近くの赤い煉瓦のヤトリニワス・コラナークは、政府経営で、コテージ風の、三方を窓に囲まれた素晴らしい部屋が、何と150ルピー(3.6ドル)と、もう泊まるだけで楽しくなるようなホテルであった。

 心うきうき、さっそくミトナ像でも有名なスーリヤ神殿へ行ってみた。

 全体が7頭の馬に引かれた、太陽神スーリヤの、天空駈ける馬車に見立てて造られたという神殿。なるほど、角度によっては、今にも駆け出しそうに見える。

写真
 スーリヤ寺院。13世紀の遺跡。寺院全体が、天空駈けるスーリヤの馬車をかたどっている。右端が馬。

 その馬車を支える12対の車輪に、びっしりと刻み込まれた日々の営みのレリーフも見ごたえがあったが、馬車の壁面いっぱいに、隅から隅まではめ込まれたレリーフも、目を見張るものがある。

 海に近く、潮風の影響か、全体に像の表面の損傷が、かなり進行していたのは残念だったけれど、それでも当時の人々が、そこに生き続けているようで、話し声さえ聞こえてきそうである。

 そんな中、前回の旅のカジュラホでもおなじみの、男女和合のミトナ像があった。

 あのカジュラホでは、その表情の静けさに、惚れ惚れとしたものであるけれど、ここコナーラクのミトナ像は、少々印象が違うように思えた。

 損傷のため、あまりはっきり表情の残る像は少なかったが、博物館に展示されていた、アモーラ像(愛し合う2人の胸像)は、カジュラホの微笑が、「忘我の美」であるとするなら、こちらは、「有我の笑み」のように思えてしまう。

 私のかってな感想なのだけれど、カジュラホが我を忘れることにより、人間であることから離れての、神との合一にひたる悦楽の表情に思えたのに対して、このコナーラクのミトナ像は、肉持つ人間の、次を期待しての微笑みのように思えてしまう。

 見ようによっては、少々いやらしい。やっぱりミトナ像の表情は、カジュラホの方が私は好きだ。

写真  抱き合うスーリヤ寺院のミトナ像。下心があるように見えるのは、私だけでしょうか。

 むしろこの寺院で心引かれたのは、楽しそうな楽士のレリーフであった。豊かな微笑に体をくねらせたその姿は、今にも踊りだそうとするばかりか、鐘や太鼓の音までも、聞こえて来そうなのである。

 どれか一つを取り出して、Tシャツのデザインにしたり、壁にかけたり、本の挿絵にしても、とても楽しいものになりそう。少々ぼろぼろの石肌だったけれど、見ていてこんなに楽しくなるのは、やっぱりこの表情の向こうに、うきうきと弾んだ楽士の心を見ているのだと思う。

写真  奏楽の天女像。ついつい、一緒に歌っているような気持ちになって…。
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第3章 インド再び
第11話 多様の国の意味するものは No.117No.117
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 プーリー海岸。南のマハバリプラムの、筏のようなカヌーとは少し違って。

 プーリーを出た夜行で一眠りした頃、その女性は入って来た。

 ミシミシと私の上のベッドに体を横たえた彼女、しばらくすると、鼻声で上の旦那に不平をこぼす。

 それを聞いた旦那、やおら一番上のベッドから降りて来たかと思うと、私の頭の上の窓を全開にして上に戻った。

 バタバタと風が入る。そんな風に殴り続けられては、眠れたものではない。

 かといって、頭の位置を通路側に向ければ、人のことなどおかまいなしの通行人に起こされてしまう。おまけに私は、プーリーで風邪をこじらせ、少々気分も悪く、ジャケットのフードをかぶって眠っていたのである。

 私は立ち上がり、窓を閉めた。そうしたらまた上のベッドで鼻声が聞こえる。またまた降りて来て、窓を開けようとする旦那。

 その旦那に言う。「閉めておいてくれないですか。風がうるさくてねむれないし、気分も悪いから。」

 ところがその旦那、首を伸ばして彼女に話していたが、「女房がどうしても新鮮な空気が欲しいから、開けてくれと言うのですよ」と、いかにもすまなさそうな顔をする。

 そんなに密閉された車内ではない。風は何処からともなく入ってきて、スウスウするくらいだ。けれど、私一人の車内でもないからと妥協した。「開けるにしても少しにしてくれ」と。

 今までだいたいすんなり妥協は成立したものだ。ところが、上のベッドから顔を出したその若奥さん、「全部開けなくてはダメ!」と鼻息が荒い。いくら事情を話しても、「開けろ」のいってんばりで聞く耳もたない。

 いったい何様のつもりだと、にらみ合った互いの目に火花が散る。

 そんな2人に挟まれた旦那、少々かわいそうにも思えたが、この旦那も情けない。奥さんの言いなりではないか。私はダメだと言って、横になった。

 どうしたものかと、しばらく戸惑っていたその彼、結局上まで窓を全開にして、ベッドに戻った。風はフードの上から、容赦なくバタバタと顔を打つ、まったくもう…。

 30分程そうやって我慢していたであろうか、上のベッドの、寝入った様子に、私は、そーっと窓を降してやった。ニタリ (^_^;)。

 知らずに眠っている上の女、ざまあみろと少々愉快な気分になって目を閉じた。結局朝まで、窓はそのまま、女性はグウグウ。

 そんな女性に腹を立てた後でもあって、2日後のカルカッタの女性が、とてもさわやかに思えてしまう。

 「チョウロンギー通りを、そうですね、500mほど歩くと、右手に御茶屋があります。私はバスから見ているだけで、実際に買ったことはないのですが、そこへ行けば売っていると思いますよ。」

 サリー姿の中年の女性は、わかりやすい英語で、そう教えてくれた。インドを去る前日、インド舞踏を見たくて、政府観光局へ行ったのだが、ダンサーの都合で、今日は休みだという。次の予定を教えてくれたが、残念ながらもう日は残っていない。

 そこでダンスを見る予定のお金で、紅茶でも買うかと、近くの紅茶専門店を聞いてみたのである。

 ダンサーの都合で休みというのは、いかにもインドらしく思えたが、仕事以外の質問にもかかわらず、歯切れの良い彼女の対応には、インドらしからぬものを感じてしまう。

 というのも、知っていることと、知らないことを、はっきり区別して提供される情報というのが、日本ではあたりまえとしても、このインドでは、とても新鮮に聞こえたのである。

 おそらく彼女は、全体と自分という位置関係を、はっきり意識しているのだろう。社会で仕事をするということが、彼女をそうさせるのだろうか。

写真  仕事帰りでしょうか、カルカッタにて。

 まさにインドの現代女性を象徴しているようであったけれど、五本の指は皆違うというインドの人達、むしろ列車の女性のように、全体のことなど眼中にないというのが、男女共の趨勢のようだ。いや、眼中にあるとしても、そのあり方が我々とはかなり違う。

 どうしてもそこで衝突してしまうのだが、同時にインドは《 その居心地の悪さが、居心地の良さ 》という不思議な魅力を秘めている。

 というのも、例え衝突をしても、存在そのものまでは、否定されない安心感のようなのがあるのである。例えば、仲間と喧嘩をした後のような、苛立ちはあったとしても、仲間全員から白い目で見られるような息苦しさがない。

 それは、一見混沌たるわがままの集まりにも見えるインドのこの社会が、カーストも含め、遠い昔の歴史の分かれ道で、《 多様の共存 》へと舵を切った結果の、進化の産物だからではないだろうか。

 21世紀を迎えた我々は、地球環境のみならず、精神的にも閉じた世界での価値観のあり方が問われている。

 もはや、ゴミを捨てる場所は、以前信じていたように、別の世界ではない。同じように、気に入らない人が、いなくなることがないことも、知るべきであろう。

 そんなことに気づいた時、一見過去を引きずっているように見えるインド社会は、肯定的にであれ、否定的にであれ、あるいは、多くの問題を孕んでいるとはいえ、未来を先取りした貴重な実例として、輝いているように私には思える。

= 第7部 インド再び そして ネパール 終わり =

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インドの渾沌を象徴するかのような、ヴァラナシー、ゴードウリャーの交差点。
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