第1話 カオサン解放区 | 第2話 燃え立つタイ寺院 |
素足に青いビーチサンダルをつっかけてぶらりとホテルを出た。薄い綿パンにノースリーブのシャツ、境内の緑多い木々が、背高く朝日をさえぎり、常夏の国タイのバンコクも、少々湿気は帯びているものの、まだ朝の初々しさを残して心地良い。
ここ、チャナソンクラム寺院の裏通り、バックパッカーに人気のカオサン通り一帯が、北に拡張した安宿街。お寺の壁に寄せて据えられた屋台はもう、朝食の準備を済ませ客を待っている。
"How much?"
"Twenty Bahts(約50円)"
屋台でも英語で大丈夫なこのあたり、そのうどんの出来るのを待って、縁台に腰を下ろした。正面では、土産物屋の女将さんが、夜の間陳列台にかけてあったシートを外すのに余念がない。
不思議なもので、一昨日の深夜、バンコク、ドン・ムアン空港に降りたのは5年ぶりなのに、気分はまるで前の旅そのままの延長のよう。スイスイとことが運び、いつもの駅前のシュリクルンホテルに宿をとった。
けれど、そのスムースさは、それだけ感動出来なくなっている証でもあるようで、なんだか寂しい。
そんな気がして昨日は、ラオスへの入国ビザを、大使館までわざわざ自分でとりに行ってみたのだが、これが結構遠かった。
バスもなんだか分かりづらくてタクシーにしたら、なんと121バーツ(2.8ドル)。まあ日本円で考えればそんなに高くはないとしても、着いたのが10時になってしまい、受け渡しは11時半だという。
写真はなかなか進まぬタクシーの中から。いくら渋滞の多いバンコクといっても、トラックの屋根にちょこんと座った4人、大丈夫なのでしょうか。 |
もう一つカンボジアも予定していた私、受け取るなり、タクシーを飛ばしたのだが、カンボジア大使館に着いた時は、すでに門が閉ざされていて、明日来いと言われてしまう。
そんなこと言われても、せっかくバンコクに来ていて、もう1日をビザの取得に費やさねばならないというのも、なんだかもったいないような気がする。
そう思って、昨夕、こちらに宿を移してから、2、3旅行会社を当たってみたところ、だいたいビザの手数料は100バーツ程度なのである。なんと中には、手数料なしの1,000バーツで引き受けますという所まであった。
まあ、誰もただでは働かないだろうから、それはどこかにからくりがあるのだろうけれど、その程度でやってもらえるのなら、それより高いタクシーを使って、わざわざ1日を費やすというのも、なんだかバカバカしく思えてしまう。
というわけで、本日は大使館への予定を変更して、この通りの一角の旅行会社に頼もうというのである。
ところで、話のついでに昨夕、そこでいろいろ尋ねてみたのだが、ここカオサンあたりの旅行会社は、カンボジア、ラオスといった近隣への旅ばかりでなく、いろんな国への航空券も、場合によってはかなりの格安で手配してくれるとか。
もし時間に余裕のある人は、日本からまずここまで来て、ここでゆっくり、次の行く先を決めるというのも、やってみたい方法である。
いや、実際にそんな人も多いようで、ここバンコク、カオサン通り周辺は、まさに旅人のベースキャンプ。必要なものは何でもそろう。さまざまな手配をしてくれる旅行会社は勿論、ホテルに食堂に両替、インターネットに土産物…、地域全体がまるでバックパッカーのリズムで動いているよう。
夕闇が迫ると、ずらりとテーブルが通りに並び、旅人達の宴が始まる。
旅人達の夜の宴。レストラン前の通りには、テーブルがずらりと並べられて…。(ワット・チャナソンクラム裏通り) |
煙を上げ、匂いを漂わせる、海の幸山の幸。酌み交わされるビールのジョッキ。ガヤガヤと交わされる言葉は、いったいどこの国の言葉なのだろう。
通りを2、3本外れるとそこは確かにタイなのだけれど、ここはまるで無国籍の解放区。
そんな雰囲気を象徴してか、闊歩する女性たちは、ズボンを目いっぱい下にずらせ、ぽっちゃりとしたお腹を大胆に見せたヘソ出しルック。
この人はまだお上品。縦線が今日はしている人も一人見かけてドッキリ。それにしても、足が長いとどうして人間、かっこよく見えるのでしょう。 |
やはり「旅の恥は…」というのは、万国共通の心理なのだろうか、まさか日頃住んでいるところでこの格好は…と思いつつも、なんだかどこかで馴染みのような気がして、ふと気がついた。
そう言えば菩薩像なども、こんな格好をしていなかっただろうか。豊かな下腹の少し上に、ぽつんとアクセントのヘソを付けた石像やレリーフを、いたるところで見たような気がする。
流行の先端を行っているつもりなのだろうお嬢さんたち、実はそれが千年来のファッションだとしたら、愉快な話ではないか。
お腹の出る短いブラウスに、ヘソの下はるかに巻いたスカート。こんな石像をいたるところで見たような気がする。写真はカンボジア、タ・プロームのデバター(女神)像。 |
角の旅行会社の若奥さんも、そんなヘソ出しルックで出てきた。
中国系の顔立ちの彼女、きれいな英語で、カンボジアのビザを「翌日渡しの、手数料込み1,100バーツ(約26ドル)。」で引き受けてくれる。明日にビザが取得できるのなら、次の日はカンボジアに発ちたいもの。
「じゃ、シェムリアップまでのバスチケットも。」
私は150バーツをカウンターに並べていた。
皆さんそうなんです、タイのバンコクから国境を越え、カンボジアのシェムリアップまでが、何と150バーツ(3.5ドル)なんですよ。本当に大丈夫かと疑いたくなりませんか。何度も念を押してしまいました。
なにしろ、昨日は大使館までの片道で121バーツかかったのに、それに、一昨日のドン・ムアン空港からのこのバンコク市内までのタクシーは650バーツ(15ドル)だったのに…。
なんと市内の大使館往復よりも安く、空港からのタクシー代の4分の1で。しかもこの旅行会社の前まで、バスは迎えに来てくれるという。やはりカオサンは便利な所。
昨日はほとんど1日がかりだったことが、ほんの十数分で済んでしまったばかりか、カンボジアまでの移動まで確保できてしまう。まるで、ちょいとサンダルを引っ掛けて、そこのコンビニで…、といった感じで、外国への手続きが出来てしまうのである。
そう、確かに手続きは…。
広場の向うの王宮とワット・プラケオ。カオサン通りから意外に近い。 |
やはり歩くのが一番。
カオサン通りの南、民主記念塔からの大通りとのジャンクション、その高架をくぐると、長さは500mくらいだろうか、大きな広場が顔を出した。
と、その向うには、見覚えのあるワット・プラケオの塔が小さく見えるではないか。なんとこんなに近かったのである。
二度目の王宮巡り、前回は点としてしかわからなかったところが、実際の景色の中で、次第に面としてつながってくるのは、手品の種明かしを見ているようで面白い。
ハトの群れの飛びかうその広場を回った先の、白い塀で囲まれた王宮のあたりは、相変わらず詰めかける観光バスでにぎわっている。確かその向うのマーケットの入り口で、この前は昼食をとったはず。人間、その場に立ってみると、結構いろいろ思い出すものだ。
ところであの時は、あまり奥までは入らなかったマーケット、何があるのかと歩いてみると、何とそこはもう、チャオプラヤー川の渡しであった。
確かに地図ではそうなってはいるものの、王宮がこんな岸辺に建っていたとは、ちょっと実感できなかったこと。また一つ、手品の種を明かされたような満足で、王宮の入り口に向かった。
けれど、前回その煌びやかさに目を見張った驚きのエメラルド寺院や、仏塔の数々も、意外なほど良く覚えていて、これまた種を知ってしまった手品のように、あの感激がなくなっているのは寂しくもある。
エメラルド寺院としても有名な、ご存知、ワット・プラケオの三つの塔。 |
それにしても、同じ仏教寺院のはずなのに、受ける印象はずいぶんと違うものだ。
以前トルコを旅した時、どうして日本の家の屋根は、上に反り上がっているのかと聞かれたことがある。
そのときは何のことかよく呑み込めず、そんなことないよと答えたように思うが、おそらく彼は、東アジアがごっちゃになっていて、中国のお寺の屋根と、日本の家屋の瓦屋根を、混同していたのだと思う。
確かに中国のお寺の多くは、屋根の端が天に向かってピント反り上がっている。そんな建築様式と何らかの関係でもあるのだろうか、ここタイのお寺の屋根の端も、天に向かって尖っている。
左はワット・プラケオの屋根。右は中国西安小雁寺のお寺の屋根。この跳ね上がる様式には、何か共通の意味でもあるのでしょうか。 |
けれどこちらは、その印象がもっと激しい。まるで、めらめらと燃え上がる炎のよう。それがなにを意味しているのか、私は知らないけれど、こういう建物の作り出す空間に居ると、自ずと気分も違ったものになってくる。
日本のお寺の姿は、人の気分を静めると私は思う。瓦屋根の重々しさは、浮いた気分を静かに鎮め、木の素肌のつくり出す雰囲気は、夏の日に板の廊下を素足で踏んだ時のような、さばさばと気持ちよい気分を思い出させる。
けれどこのタイの寺院は、そんな気持ちとは逆の、メラメラと天に燃え上がる怒気というか、威厳というか、そんなものを感じさせずにはいられない。
加えて、金キラに煌めく仏像類の数々は、いやがうえにも仏陀の世界の威厳をかもし出す。
それに、壁などの文様も、たとえそれが草木をデザインしたものであっても、上に向かって萌え立つような雰囲気を盛り立てている。
もっともこのワット・プラケオは、王朝の護国寺として建てられたものというから、それは当然なことなのかもしれない。
求められていたのは、煩悩から離れることではなく、王朝の権威をより高く盛り上げることであったのだろう。黄金に輝く仏陀の世界は、そんな権威の根源としてあったのかもしれない。
そんなことを思いながら、ぐるりと南へ1kmほど、大きな寝釈迦で有名なワット・ポーの本堂にも、金色に輝く仏像が祭られていた。その前では先ほどから、鮮やかな朱色の衣を着けた十人ほどの僧が、声を合わせてお経を上げている。
けれどその僧の雰囲気も、日本のイメージとは少々違う。燃え盛る衣の朱色もさることながら、彼らは皆、膝を崩した横座りなのである。これがここでの正式な座り方なのだろうが、なんだかその後ろ姿、少々色っぽい。
横座り、これが正式な座り方なのでしょう。ワット・ポー本堂にて。 |
外見の印象だけからいろいろ想像するのは、大変失礼なことかもしれないが、その少し従順な印象の後ろ姿にも、彼らの崇めているものとの関係が現れているように思えてしまう。
その読経の中、膝で正面までにじり寄ったタイの青年は、寄付箱にお金を入れ、足を爪先立てた正座で両の手を合わせ、頭を床につけてお祈りをする。
しばらく神妙にそのお祈りをしていた彼、後ずさりして後ろに戻ると、そこで足を投げ出して見ていた年配のヨーロッパ人女性に、その足を注意していた。
ミャンマーでは一人のお坊さんが、鐘に刻まれた経文をありがたそうに読んでいるその足元で、ごろりとお母さんが昼寝を楽しんでいたものだ。
ミャンマーのパゴダには集まる人がそうさせるのか、そんなやさしさが漂っていた。けれどここに漂うのは、むしろ威厳。この気高さに満ちたタイのお寺の雰囲気の中では、そんなくつろぎはやはりそぐわないのだろう。
ところでこのワット・ポーは、タイ式マッサージの総本山としても有名なところである。本堂を出て、少し歩いた境内の東の端に、そのマッサージ場はあった。
まわりには、時間待ちの客がたむろしている盛況ぶり。聞くと、30分150バーツ(\390)、1時間250バーツ(\640)だが、40分ほど待ってくれという。ものは試し、まだ時間があったので予約をし、もう一度境内を一回り。なにしろここは退屈しない。
案内されたマッサージ場の中は、大広間の道場といった雰囲気で、50cmほどの高さの、荷物用の木の棚で仕切られた一角の、並べられた薄っぺらい布団の上に、靴を脱いで横になった。
すると、まだ若い娘さんが、その足をさっそく揉み始める。
タイ式といっても日本の指圧とよく似たもので、カオサンからの2km余りを歩いてきた私の足には、その足をメインのタイ式がとても気持ち良かったのだが、足を洗うような所も、指示もなく、靴を脱いで横になれと言われるがままにそうした私の足、いきなり素手で揉み始めては、きっと匂うに違いないと、その娘さんに気の毒で、気分はリラックスとは、、、、ちょっといきませんでした。
「第2章 カンボジア」へつづく