第4章 降りた所が目的地  《 第1部 インド編(その1) 初めての海外 》
第1話 車両が見つからない第2話 負けてたまるか第3話 旅のコツ
第4章 降りたところが目的地
第1話 車両が見つからない No.014No.014

 「マーヴァ・エクスプレス?」 「ボパール?」

 私は大声で叫んでいた。

 夜の0時過ぎである。列車がホームに滑り込むと、あたりは騒然と殺気立った。皆荷物を担ぎ、入り口に殺到する。

  「イエス」乗りかけていた紳士が答えてくれた。ところが、「1949」私の車輌が見つからない。私は後方に向かって走った。リュックが背中でバウンドする。無い。荷物運びに聞いてみた。もっと前だと言う。

 インドの列車は車輌間を移動できない。しかも長距離は十輌から二十輌の連結でやってくる。だから予約席の場合、自分の車輌を見つけるのは大問題となる。

 たいがいは日本の場合よりもかなり余裕をもって停まっているのだが、勝手のわからぬ地で乗るものの心理としてはそうも言っていられない。

 それに列車は日本のようにけたたましくベルが鳴ってから動き出すというのではなく、静かにゴンと動き出す。置いていかれては大変とあせってしまう。

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 グワリオルからヴィディシャまでの手書きの切符。読むのが一苦労。

 私はこのグワリオルのホームには出発の1時間前に来て窓口の駅員に車輌の位置を確かめていた。

 駅員は私の切符を手にとって見て、上から下まで読むとおもむろに、「後ろ」と言って手を大きく伸ばし、ホームの後方を指し示した。私は「後ろ」と念を押す。彼は「イエス」と切符を投げ返したのであった。

 私は彼の自信ありげな態度に安心しきっていた。不覚であった。

 駅のホームは赤いライトが所々についてはいるものの全体は暗い闇の中である。少し先の車輌番号はもう読めやしない。それにどうも車輌も、番号順に連結されているというのではなく、番号そのものが固有名詞のように秩序無く並んでいる。

 乗客は次々と車輌に吸い込まれ、殺気立っていたホームも次第に閑散とし始める。私は一仕事終えて帰る運び屋に聞いてみた。「もっと前」。走った。

 ジュース売りの少年に聞いた。「もっと前」。売店の人に聞いた。「もっと前」。ほとんどの乗客が乗り終えている頃、やっと私の車輌は見つかった。心臓は痛いほど高鳴っていた。

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 ボパールからジャルガオンまでの寝台。コンピューターによる発券。とても読みやすく、なんとなく安心である。

 私はこのとき以来、情報は必ず出所の違う二つ以上を集めて、そこから判断するというのを鉄則にしている。どうも我々の文化は、どちらかというと信頼を基礎としているようである。

 例えば初対面の人と合ってもまずは信用の方を基調にして関係を出発させる。習慣や価値観がほぼ同じの日本人社会にあっては、このことはほとんど問題なく過ぎていくようである。けれどそうも言っていられなくなってきた。

 より国際的になり、いろんな人と付き合うには、もう一つ、反対の形があることを知っておいた方がよさそうである。

 それは疑いから出発する関係である。疑いからというと、言葉は悪いが、これは関係の間に、必ず、自分の判断をいれる関係である。こちらの態度から見ると、我々の態度は、何とも主体性の無いことかと見えるかもしれない。

 6年後に再びインドを訪れた時、リクシャで土産物屋に連れて行かれ、数万円のみやげ物を買わされたと怒る日本人青年と列車で同席した。

 よく聞くと、色々問題はあったとはいえ、別に脅されたわけでも、値段を書き換えられたというのでもなく、とほうもなく高いとは思ったけれど、断りきれずにサインをしてしまったというのである。

 彼の悔しさは私も身をもって何度も味わってはいるのだが、このことも、彼らから言わせれば、「あなたはそれでよいと判断したからサインしたのでしょう」ということになるのだろう。

 インドではさまざまな異質文化が混沌と混ざり合って存在している。そのような中では、まず、自分の判断というワンクッションが必ず自覚されるのであろう。

 だから、例え間違った情報を与えたとしても、それを採用するかは相手の判断の問題だから、我々が嘘を教えた時のような責任は感じていないのかもしれない。

 事実が果たしてどうなのかは、ほんの2ヶ月の旅で知る由もないが、そのようにも理解できることは確かなように思えた。

 とはいっても、彼らも常にいい加減を言っているわけではない。十人中、七、八人は正解を教えてくれている。しかし、その中に一つか二つ、まったく間違った情報が自信ありげに混ざりこんでしまうと、もう、全体が疑いの中に投げ込まれてしまうのである。

 私はその後、ボパールからオーランガバード、オーランガバードからボンベイと、二度予約席の長距離列車に乗ったのであるが、その二度が二度とも、駅員に正反対の位置を教えられたのであった。

 そしてこのグワリオルを含め三度とも初めに教えてくれた駅員が間違っていた。どうやら、1時間も先の話というのは、彼らにとって単なる四方山話のようなのかもしれない。

 さて、問題はこれで終わらない。乗った以上降りなければならないのだから。

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第4章 降りたところが目的地
第2話 負けてたまるか No.015No.015

 右足を踏ん張り、左の尻に力を入れる。揺れにあわせて、グイグイと左へ押す。がしかし、力はそのふくよかな腰に吸収され、動こうともしない。横に座っている彼女がである。

 更に押す。ビクともしない。座席は私の尻の左半分にかかってはいるものの、右半分は宙に浮いたままである。とても疲れる。

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 私がむなしく戦い続けたのは、このくらい体格の良い女性。成田に帰った時の、日本女性の第一印象は、「骨に皮がへばりついたような人が多いな」というのであった。

 私はアグラーから、マトゥラーへの普通列車に乗っていた。私の席は、三人がけの通路側、その通路には家族ずれが四人立っていて、席の空くのを待っていた。夫婦と娘さんと男の子である。

 列車が止まり、座席の中央が両方空いた。彼らはその席に座ろうとするのであるが、先頭の太い女性は我々の膝が邪魔になり入れない。私は仕方なく立って彼女達を通した。

 と、その時である。彼女たちはドドッとなだれ込むと、デン、デン、デンと全席を占領してしまったのである。私の座っていたその席までもである。

 そして、前の席に座り込んだ彼らと、あたかもずっと以前からそこにいたかのようになにやら話し込んでいた。見ると前の彼らは、三人がけの椅子に四人が座っている。

 けれど男の親子は彼女たちと太さが違う。こちらはとても四人はかけられない。

 私はそこは私の席だと抗議した。けれどこちらを見向きもしない。彼女の肩をつついて手で話し掛ける。そう、怒った目と指差しである。これで充分通じるはず。「そこは」、「私の」、「席である」と。彼女たちはチラッとこちらを見ただけで、平気で話し続けていた。

 どうしようも無い。こういう時西洋の映画では肩をせばめて、両手を広げるのだろうか。私はあきれて周りを見回した。

 こちらの様子をじっと見ていた男がいた。目が合い、苦笑すると、彼が助け舟に。彼女になにやらヒンディ語で言ってくれた。彼女たちはチラッとこちらを見ると、立つのではなく、その尻をずらしたのであった。そう、10センチは空いたであろうか、それがこのスペースである。

 このような座り方なら、立っている方が楽である。けれど、立つわけにはいかない。

 私はアグラーまでの小一時間、むなしく失地回復の戦いを続けたのであった。

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 自由席の切符

 アグラアーに着いてから、ホテルの主人にこの話をさっそくしてみた。彼の答えは、多くの場合、女性に席を譲るのは当たり前とのことであった。

 そう言えば、女性に特別やさしいところもある。例えば切符買いとか何かで並んでいても、つかつかと女性が前に行き、用を済ませてさっさと引き上げていくという光景に、一度ならず出会ったことがある。

 ちょっと納得いかなかったけれど、我々とは違って、当たり前の価値観があるのかもしれない。

 またボパールからジャルガオンまでの約十時間の列車の移動では、前日に二時間はかけて二等予約席をとることが出来た。

 前述の調子で四苦八苦してやっとめざすところに乗り込んだのであるが、一つ二つ駅を過ぎるあたりから多くの人が乗り込んで車内はだんだんと混んできた。

 私は前の体験から自分の分、シートの三分の一を確保して座っていたのであるが、立っている男が私の膝を押してくる。尻をずらして席をあけろというのである。

 私は言葉が分からないふりをしてガンとして動かなかった。彼は何度も同じしぐさをするも、私はトボケ続けた。すると彼は一つとばして、私の隣のインド人に同じしぐさをした。すると彼は体をずらし少しスペースをつくる。そこに彼は座り込んでしまった。

 結局同じことである。窮屈な姿勢で小さくなっていなければならない。「何で、何で」といった思いであった。前日に二時間以上もかけて手にしたこの指定席はいったい何だというのか。

 しかも乾燥しているとはいえ三十度を超える暑さの中でである。見れば向かいも三人がけのところを五人で座っていた。

 注意して見ていたのであるが、反対側の窓側の一列の席には一人の男が座っていた。彼は私と同じボパールからであったが、自分の席をガンとして確保し、おまけに向かいの席に足を延ばし二人分占領して寝そべっていた。

 混んできたにもかかわらず自ら足を引っ込める気配が無い。その足の方に容赦なく一人二人と座りだす。けれど彼はその人々を邪魔だと押し退けるのである。

 押し退けられた方は独り占めを抗議するでもなく別のスペースへ尻をずらす。結局は彼も自分の座席一つに後退したのであるが、数時間にわたって混んでくる列車の中、二人分を占領し続けたのである。

 他の席には四人五人とすわっている時にである。なんとも不思議な光景であった。

 オウランガバードのホテルで、デリーで英語を教えていると言うフランス人女性に、このことを言ってみたら、「インドでは常に闘いである。席に座るのもそのつもりでいなければならない。」との評であった。

 私は三人がけの席に5人で座るのも、混んでいるのに、二人がけの席を独り占めするのも気に入らなかった。

 儒教に分相応という価値観がある。もっと儒教的には身分相応というべきか。とにかく、全体の調和の中での自分の位置をわきまえ、ふさわしくあろうとすることである。

 私はこの考えをあまり好きではないと思い込んでいる。もっと自由にあるべきだと。けれどひょっとして私も、この下着を何枚も着込んでいるのかもしれない。

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第4章 降りたところが目的地
第3話 旅のコツ No.016No.016

 「オイオイ、どうするんだよう」

 薄汚れた窓ガラスの向うに、スタスタト去っていく車掌を見ながら、思わず日本語でそうつぶやいてしまった。

 どのくらい眠ったであろう、我々のコンパートメントに入ってきた乗客に目を覚まし、窓の外をそれとなくみた時である。

 乗務員の交替であろうか、見覚えのある車掌が、誰かに挨拶をしながら、何処かへ去っていくのであった。そう、駅に着いたら教えてくれと頼んでおいたその車掌がである。

 インドの列車は乗るのも座るのも大変であるが、降りるのもまた大変なのである。

 列車が時間通りに走っているのなら時計を見ながら目的地の近くを知ることが出来るのであるが1時間2時間の遅れは常である。

 オウランガバード発の夜行は三時間遅れてボンベイ(ムンバイ)に着いた(この時は終点であったので私は問題なかった)。

 また時刻表どおりに停車していけばその都度チェックして行くという方法もあるのだが、時刻表で通過のようなマークになっているところでも数々止まるばかりか、時刻表便覧に出ていない駅にも止まるのであった。

 広いインドを数十ページの便覧におさめたのだから仕方がないといえばそれまでだが、通過する駅を書くくらいなら止まる駅を優先させてもらいたいものだと思ったものである。勿論車内放送等はない。

 また、ホームにある駅名表示をたよりにしようとしても、日本のようにやたらと書いてあるのではない。駅名の看板はホームの端にあるだけである。ホームの端といえばまだ列車のスピードが残っている時である。

 それに、インドの列車の窓は狭い。その狭い窓から目を凝らして読もうとしても、せいぜいアルファベットの頭三つ四つを読み取るのが関の山である。それも夜行ともなるとまるでお手上げである。

 「え〜い、こうなったら適当なところで降りるさ。なんとかなるだろう。『降りたところが目的地』だ。」

 私はベッドに寝転がり天井を見つめた。どういうわけか、そう腹に決めると、今までのイライラさえもが、妙に静まっていくように思えたのを覚えている。むしろ、このゴチャゴチャが楽しささえ漂わせて。

 ところがまことに不思議なことに、あっち間違いこっち間違いはしたものの、結果を見ると、目的の列車に乗れずに置いていかれたとか、降りるべき駅でないところで降りてしまい列車は走り去ってしまった、といったようなことは一度もないのである。

 列車は私をちゃんと目的地まで運び、ちゃんと降ろしてくれた。

 この時も同室の夫婦に片言のヒンディー語で私の目的地を知らせておいたら、まだ夜の明けきらぬ時に、コンパートメントの外のチャイ売りを呼び止めに出て、駅名を聞き私に教えてくれた。

 インドの人達は、皆とても親切であった。一見、他人の世界はまったくの無関心のように見えても、一旦、彼らの世界の中に入ると、家族のように親身になってくれる。

 おかげで私は、あの車掌抜きに、まだ薄暗きビディシャのホームに立つことが出来たのである。神の御加護であろうか。

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 サンチのストゥーパ。車掌は何処かへ行ってしまったが、同室の老夫婦に教えられて、無事ヴィディシャに下車。レリーフがすばらしい。

 そうかもしれない、しかし、列車乗りの要領もだんだんと分かってくるのである。その一つは、あまり先のことを聞いても正確な情報は得られにくいということである。

 ところが、近くの人に近くのことを聞くと、彼らはとても親切に正確に教えてくれる。列車が入ってくるときにこの列車は何かと、例えばホームにいる乗客や雑誌売りあるいはチャイ売りに聞くと即座に教えてくれる。

 まるで彼らが駅員の代行をしているかのようにである。ボパールでは新聞売りの人が私の車両の位置まで正確に教えてくれた。デリーでは靴磨きの少年に教えられて列車に乗った。

 混沌から秩序が生まれるのには、二つのパターンがあるという。一つは指示し指示されることによってであり、もう一つは指示するものがない中で、個それぞれが周りの状況に応じて己の態度を決めていくというものである。結晶が出来たり、細胞が集まったりというのはどうもこちららしい。

 インドの旅に要求されるのもこの後者の方である。我々日本人は、整列しようとすると、どうしてもその指示を求めたがるようである。私はインドでそれを求て、ことごとくつまずいて来たような気がする。

 ところが「周りの人々に囲まれて」というように方針を切り換えると以外にうまくいくばかりか、このいいかげんさが人に対する優しさの裏面であることも見えてくるのであった。

 アグラー駅でのこと、ある列車が例によってなんの前ぶれもなく「ゴン……」と動きだした。ところが車両二つ分ほど動いたところで、止まってしまったのである。

 何だろう、故障だろうか、と思って見ていると、ホームの逆の方からなにやらけたたましく叫びながら一人の女性がデンデンと走ってきたのである。列車は彼女を吸い込むとまた静かにゴン…と動きだした。まさに個あっての全体なのである。

 「列車は時刻表の指示で動くのではない、周りの状況をみて動くのだ。ホームでは皆が乗り終えるのがその条件」

 そんなふうに言っているかのようであった。


 付録

 ここでこれからインドを旅しようという人のために、私のつかんだインドでの列車利用のコツのようなものを紹介しておこう。

 乗るべき列車を見つけ切符を買うまでは別に問題はない。時刻表か駅の掲示で列車をさがし、用紙に書いて出せば空席が有るかぎり問題なく手に入る。最近は大きな駅には外人専用の窓口があり、予約は実にスムーズに事が運ばれる。

 さて、その列車に乗るには先ずどのホームに来るかを知らねばならない。これは列車到着の小一時間程前に駅の何処かに掲示される。この直前の掲示は結構正確であり信頼出来るが、それ以前に時刻表とか駅員から得た情報はよく変更があるのでだいたいの見当程度に思っておいたほうが良い。

 次にそのホームに来るどの列車が目的の列車かという問題であるが、このあたりから情報源を駅員ではなく周りの人々に切り換えたほうが良い。その方が即応できて尚且つ正確である。

 座席指定の場合はその車両がどのあたりに止まるかが問題であるが、これは列車が来てから移動の覚悟で待つ。停車時間はだいたいにおいて充分ある。

 いよいよ列車がホームに滑り込む頃となると皆がざわめき出す。そうしたらすかさず乗客や売り子や赤帽といった人々に自分の目的地へ行く列車かどうか尋ねる。必ず複数から聞くこと。複数の情報が一致したらまず間違いない。

 自分の乗る車両がどのあたりかも同じようにして聞く。長距離寝台の場合などでは、入口近くにチョークで車両ナンバーが書かれたり、コンピューターで打ち出された乗客名簿が張られたりする。それを見つけることが出来れば安心である。

 次に乗り込んだら周りの人々に声を掛け、自分の目的地くらいは告げておく。インドの人々にツンとした人はいない。たとえすぐ近くが別世界という見方が当たっているとしても、自身の世界は常にオープンである。話しかければ皆気さくに応じてくれ、もうその時点で別世界ではなくなるかのよう、まるで家族のように親切である。

 降りる駅も心配はいらない。彼らは良く知っている。もし知らなくてもちょっと大きな駅では手前からチャイ売りやスナック売りがドカドカと乗り込んで来る。彼らに聞けばちゃんと教えてくれる。深夜などでもしそれも出来なければ、止まったホームに自分で降りていって通る人に聞けばよい。但し停車前後はドロちゃんにとっては最も有利なタイミングであるからその点はくれぐれも注意する事。

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