第3章 鬼は外、福は内    《 第1部 インド編(その1) 初めての海外 》
第1話 つぶての正体第2話 下駄箱から出てきたものは第3話 ごみは外
第4話 ヨーグルトはおかず?第5話 ヤムナー河騒動第6話 時の流れはデジタル?それともアナログ?
第3章 鬼は外、福は内
第1話 つぶての正体 No.008No.008
写真  男女抱き合うミトゥナ像で有名なカジュラホの寺院。その周りは、おびただしい数の彫刻が取り巻いている。

 二、三十頭はいたであろうか、黒山の牛が私に向かって突き進んできた。ミトナ像で有名なカジュラホの道をのんびりと自転車に乗っていた時のことである。

 いや実は彼らも道を歩いていたのである。けれどそんなに多くの牛が野放しにされているのを見た事の無い私は、自転車を止めて立ちすくんでしまう。

 牛にも色々あるらしい。少し小ぶりの牛は神の化身として信仰を集めていた。しかし同じ牛でも、毛が抜け落ち、皮が擦り剥けるまで、こき使われている牛もいる。

 一度聞いてみたことがある。あの牛は神ではないのかと。「ノオ、バッファロー」と言うのがその答えであった。どうやら彼らには全然違う生き物に見えているらしい。

 私に向かって突き進んできたのは、その大きな角もつバッファローの群れであった。

写真  道一杯に家路に急ぐバッファロウ。恐る恐るカメラを向けたら…

 私は自転車の後ろでカメラを構えた。怖さ半分、珍しさ半分、少し腰を引いて何時でも逃げられるように。5m、3m、2m、さあ、迫力満点のアップ写真。

 ところが、彼らは、上目使いにチラッとこちらを見るなり、まるで、岩に堰かれる川の流れの如く、私を避けて進むのであった。

 写真としては少し物足りない。一歩前に進み出た。と、彼らはまたその一歩先で私を避ける。日頃よほど人間に苛められているのか、おどおどしていたのは、私よりも彼らの方であった。

 牛たちに混じって後ろの方から一人の男が歩いてきた。牛たちの管理者なのだろう。その時はこんなに後ろを歩いていて大丈夫なのかと思ったが、後にサーンチで彼らの驚くべき能力を見かけたことがある。

 その群れは五十頭はいたであろう、草を食べに行った帰りのようであった。二人の男が付き添って歩いていた。私はそれは一つの群れかと思っていたが、実はその村のそれぞれの寄せ集めであったのである。というのは、その村に近づくと、数頭づつ、各家に別れていくのである。まるで保育園からの帰りのよう。

 ほとんどの牛は帰る家を覚えているらしく、自分で群れから別れていくのであるが、中にはそうしないのもいる。そうするとその牛を、彼らは即座に帰るべき家に追い立てるのであった。

 彼らには1頭1頭識別できているのである。恐らくカジュラホの彼も、牛たちが道路一杯に歩いたところで、人間と何の摩擦も生じさせないことを熟知していたのであろう。きっとへっぴり腰の私が愉快に映ったことであろう。

 さて、再び自転車に乗った私を次に出迎えてくれたのは、道で遊ぶ子供達であった。年の頃は五、六歳であろうか、キャッキャッと楽しそう。

 私が近づくとその内の一人が、「ハロー」と声をかける。「ナマステ」と答えたら皆がこちらを向いた。とその時、その内の一人が、一瞬キラリトいたずらっぽくその大きな目を輝かせたかと思うと、手にしていたゴルフボール大のものを私に向かって投げてきた。すると一人、二人とキャーキャー言ってそれに続く。

 その無邪気な仕草に思わず「ヘーイ」とおどけてみたのであるが、胸に当たったその物を見て驚いた。牛の糞を丸めた物だったのである。

 彼らは、手が空になると、まだ湯気が出ていそうな糞に飛びついていた。先ほどの群れが残していったものである。まるで雪合戦のような光景。或いはちょうど日本の子供達が泥んこ遊びを楽しむかのよう。

 どうやら汚いと思う感情そのものは、人誰しもにあるとしても、何を汚いと感じるかということは、後で教えられる事のようである。つまり文化の産物か。彼らにとっては、牛の糞はその感触が気持ちよくさえあれ、汚いなどとは夢にも思っていないのだろう。

 そういえば、マトゥラーでも、牛の後をついて歩き、その出来立ての糞をぐにゃりとつかみとり、頭上のざるに乗せて運ぶ少年をみかけた。燃料にでもするのであろう。つかむのもさることながら、頭上というのにも目を見張った。

 驚いてカメラを向けたら、怪訝そうに見返した。もし汚いなどといったら、「無害な牛の糞などどこが汚い。お前らの国で撒き散らす化学物のほうがどれほど汚いことか」などと、天はつぶやいたであろうか。

 とはいうものの、気持ちは別。キャッキャッと楽しそうな子供達の叫びを背に、私は目いっぱいペダルをこいでいたのであった。

写真  そのまだ生暖かい牛の糞を、手でつかんで集める少年。
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第3章 鬼は外、福は内
第2話 下駄箱から出てきたものは No.009No.009

 えらく汚れている。目の前に置かれたペプシコーラのビンがである。私は手を膝に置いたまま、その口元を眺めていた。少年はその視線に気づいたのか、左手でビンの口元を握ると、グイと下にしごいて去って行った。

 カジュラホのホテルの食堂でのことである。確かに口元は、瓶の中が透けては見えるようになったけれど、そんな問題ではない。私はストローを要求した。果たしてこのストローも、どんなものかわかったものではないと思いつつも、そうすることによって気分が全然違うのである。

 そう気分の問題なのである。たかが気分、されど気分。

 私はここカジュラホで二回目の下痢にみまわれていた。デリー、マトゥラーと、なんとか無事に過ごした私であったが、第三の地アグラーで第一回目のダウンをしてしまった。

 幸い下痢止めでなんとか立ち直ったものの、丸一日、水のような便に苦しみながら、ベットにへたり込んでいた。

 下痢をしてしまうと体力を奪われてしまうばかりか、気力も完全に萎えてしまう。私は歩けるようになってからも、とても精力的に観光する気にはなれなかった。

 幸い宿がタージマハルのすぐ近くだったので、美しきタージマハルの木陰で二日間のボーッとした日を過ごしたのであった。

写真  デリー、マトゥラーと美しさと言う点では少々落胆していた私であったが、タージマハルの美しさは、もう感激であった。

 ここカジュラホでも、到着した次の日、二回目の下痢に襲われた。その日は西郡の寺院から歩き始めたのであるが、途中立っているのさえ気だるくなったのでホテルに帰った。

 カジュラホは小さな村で、西郡の寺院からホテルまでは歩いても十分とかからない。ホテルに帰ったら完全な下痢で、ベッドに倒れると、そのまま三時までグッタリと眠ってしまったのであった。

 その日の夕、コップの水に湯沸し器を突っ込み、賽の目に切ったジャガイモを煮て食べた。味付けは機内食の残りの塩だけであったが、実に美味しかった。

 何が美味しいかといって、安心して食べられることがである。日本では気づかなかったこの「安心」ということの重要さを、このとき味わった思いであった。例えそのもの自体は同じであったとしても、それが安心の中にあるか、不信の中にあるかで、与えられるものは大いに異なる。

 よく引き合いに出されることであるが、砂漠でコップ一杯の水が残ったとして、そのコップ一杯を、「もうこれしかない」と感じるか、「まだこれだけある」と感じるかで、その人にとっての一杯の水の意味はまったく異なったものになってしまうであろう。

 たかが気分、しかしそのものを、どういった気分で包んでいるかということは、時にはその事実以上の意味を持つものなのである。

 私は、カジュラホでは寺院前のレストランが気に入っていたのであるが、宿の食堂の人にせがまれて、この食堂で食べてみることにしたのであった。その彼の得意の一つ、チキンライスが、ストローでペプシを飲む私の前に差し出された。彼はどうだと言わんばかりにニコニコとしていた。

 インドの人ならさっそくに右手で食べ始めるところであろうが、できればスプーンで食べたい。スプーンで食べるポーズを見せると、オオと言って彼は食堂の端まで行きしゃがみこんだ。

 そこには下駄箱のような、とても清潔とは言いがたい代物が置かれていた。そこに塗られていたであろうペンキは言うに及ばず、扉のベニヤも端がほつれ、しかも汚れで黒ずんでいる。

 それは古くなっているといった問題ではない。その姿はあたかも道具としての愛情から完全に見放され、そこに打ち捨てられているかのようであった。

 ところがそれは、現役の食器棚だったのである。彼はそこから、しかもその一番下から、スプーンを取り出すと、私のチキンライスにグイと差込、にこりと笑った。

 せめて棚の上段なり、或いは、じかにばらばらに置くのではなく、箱か何かに入れてから置いてもらいたい。私はそう叫びたかった。

 考えてみれば、上段に置こうが下段に置こうが、じかに置こうが箱に入れておこうが、それ自体では食器の清潔さをそれほど左右するものではない。いわばそれは私にとって清濁を隔てる心理的儀式のようなものである。

 しかし、いざその儀式を崩されてみると、気づかなかったそのことの意味が見えてくるように思えるのであった。

 何を汚いと感じるかは文化の違いによると前に述べたが、その清を濁から隔てる心理的儀式に於いても、人それぞれ、国それぞれのようである。

 「鬼は外、福は内」はて、垣根は何で造りましょう。

写真  何かと思えば現役の食器棚。開けた扉の右下にスプーンだのホークだのが、ばらばらと置かれてあった。上に皿が見える。
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第3章 鬼は外、福は内
第3話 ゴミは外 No.010No.010
写真  カンダリヤ・マハーデーヴァ寺院の彫刻郡の、激しく絡み合うミトゥナ像。(カジュラホ)

 ミルク、トースト、オニオンオムレツ、私の朝食である。それにしてもどうしてインドのパンはこうも小さいのだろう。日本の六つ切り食パンの、大きさ厚さとも半分程度である。

 私はサファリレストランの朝食を楽しんでいた。ここカジュラホは小さな村であるけれど、飛行場もあり外人観光客も多い。だからレストランも外人用の味をそろえている。

 洋式ブレックファストもその一つである。パンは小さいけれど味は悪くはない。それに外人うけがするように店内も比較的こざっぱりとしている。

 それでも客が去ると食べ物の包みや、タバコの箱などがテーブルの足元に残される。店の人がすかさず掃除をはじめた。彼はそこらのテーブルの下の紙くずもかき集め、塵取りですくい取る。ゴミは塵取り一杯ほどになっていた。

 彼はそれをもって入り口のところまで行くと、なんとそこに捨てたのである。何かの都合で、そこにちょっと置いただけなのかと思って見ていたが、それで終わりなのであった。私から見れば店先にゴミを散らかしたことが、彼にとっては店内を掃除したことなのである。

 デリーでもよく店内で掃き集めたゴミを、店先に捨てる店員を見かけた。まるでその店先は、店内とはまったく切り離された別世界であるかのように、さばさばした様子で。

 またニューデリーの駅には線路をまたいで歩道橋があった。その上を掃除していた人は、掃いたゴミを歩道橋から下に掃き落としていた。下は駅のホームである。そこにはスナック売りや、チャイ売り、そして列車を待つ人々が群がっていた。

 また、列車の中もよく子供たちが掃除に来た。彼らは終わると客からお金を集める。そんな時「私はちっともゴミを出していないのに、何故お金を出さなければならないの」などと思ったりもしたが、それは別として、多くの乗客は子供が掃除をしたその尻から、落花生の殻とか、豆の皮とか、紙屑とかをポイポイと捨てるのである。

 まるで足元は自分とは関係のない別世界のように。だから、掃除しても掃除しても、きれいとは言いがたいのである。

 牛の糞や食器棚で、何を汚いと感じるか、或いはまた、それをどうやって隔てるかに、文化の違いを感じたのであるが、そういった気持ちの及ぶ広さというのにも、ちょっと我々とは異なるものがあるように思えるのである。

 つまり彼らの気持ちの及ぶ領域は、我々から見るとずいぶん狭いように思えてしまうのである。

 例えば、日本の住宅街で玄関を掃いているお母さん方は、だいたい自分の玄関の前の道路も掃除をする。玄関先の道路にゴミを集めて「ああきれいになった」と安堵する人は少ないであろう。ところがインドで見かけた多くの人はそれで安堵しているかに見えるのである。

 つまりどのあたりまでのことを気に病み、心配し、心煩わして日々を送っているのかと言う点で、インドの人達はその広さに於いても、その先行きに於いても、我々日本人のそれより狭いように思えるのであった。

 6年後に行ったカルカッタで、面白い光景をカメラに収めた。それは一つのベンチの片方にこうもり傘をさした男が休息し、その同じベンチの他方で恋人同士が二人の時を楽しんでいるといった光景である。

 日本でならおそらくどちらかが落ち着かず席を立ったことであろう。彼らにはその広さで十分なのである、私にはそのように思えた。

 勿論、広いから良いとか、狭いから悪い、と言っているのではない。どちらにもそれぞれの味がある。

 ここカジュラホで、のんびりとした朝食を楽しんでいると、少しばかりそれの広い日本人は、その分、目いっぱいよけいな心配を背負い込んで生きているようにも思えてくるのであった。

 「福は内、鬼は外」 はて? どこまでが内で、どこからが外なのでしょう。

写真  お互い、まったくの別世界にはまっているかのよう。他に空いているベンチはたくさんあったのだけれど… (1999年)
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第3章 鬼は外、福は内
第4話 ヨーグルトはおかず? No.011No.011
写真  カジュラホ、サファリレストラン。ビリヤーニ(インド風焼き飯)が私のお気に入り。

 「ご一緒してもよろしいでしょうか」

 サングラスをしたグレイヘアーの美人が微笑んでいた。

 3月のカジュラホの朝は、まだほんの少しひんやりとしたものが残り、心地よい。その心地よさに包まれ、お気に入りのサファリレストランで朝食のパンをほうばっていた時のことであった。

  「イエス、プリーズ」勿論である。

 私の泊まっているニューバラントロッジの二階の部屋は、90ルピー(約300円)で、東には窓があり、バストイレ付きで、ドアを出ると、その前がテラスへと連なっていた。

 夕方ともなると客達はそこで涼を楽しむ。もっとも客達といっても、部屋は全部で六つ程度なので、多くても二、三人である。

 昨夜はそこで彼女にパパイアをご馳走になった。「腹の調子が悪い」と言ったら、パパイアがよいと差し出してくれた。

 ――ちなみに、第一章からお読みの方は、「イエス」と言えなかった私が、どうして「腹の調子が悪い」などということを喋れるようになったのかと、不思議にお思いでしょう。簡単なのです。腹に手を当て、ちょっと顔をしかめて、「トラブル」、これでOKなのです。――

 カナダ人とのことであった。当然英語を日常語としているのかと思いきや、英語は第二言語であり、あまり得意ではないというのである。

 知らなかったのであるが、カナダでもケベック州はフランス語を話しているらしい。その彼女、パパイアを種ごと平気で食べていた。「種も食べるのか?」と問うて見たら、両手を広げて肩をすぼめられてしまった。

 その彼女が、私の横で注文した朝食は、ヨーグルトサラダとライスであった。ヨーグルトサラダというのは、皿一杯のヨーグルトに、ぽつぽつと果物をのせたものである。

 妙な取り合わせである。ヨーグルトにご飯はどう考えても合いそうにない。いったいどんな感想になるだろうと、質問の英語を考えている間に、その二つがテーブルに並んだ。

 彼女はまずそのヨーグルトサラダから食べ始めた。いつご飯を口にするのかと、見ていたのであるが、どんどんどんどん、ヨーグルトサラダを食べていった。どんどんどんどん、皿は空になってしまった。

 やはり合わないからご飯は残すのかと思いきや、今度はご飯をムシャムシャ、ムシャムシャ食べ始めたのである。塩も何もかけずに、ただご飯だけ。

 唖然!

写真  ライスのみをムシャムシャと食べたカナダからの旅人。6ヶ月滞在予定とのこと。テーブルの上に黄色いパパイヤが見える。

 「日本ではそのような食べ方はしない。ご飯とおかずのコンビネーションを味わう。」と言ったら、「あまりライスは食べないの」と、そっけない返事であった。どうもヨーロッパでは、料理は一品ごと独立して味わうというのが、当然の前提になっているようである。

 日本人の食べ方には―――そう言ってもよいと私は思っているのだが―――おかずとご飯、ご飯と味噌汁、ご飯と漬物、漬物とお茶、といった直前に食べたものが口の中に残す余韻と、次のものとのコンビネーションを、楽しむところがある。

 どうやら日本の感性は諸関係の中にそのものを感じ取る傾向に長けているらしい。

 そういえば、日本のお茶の作法も、先に甘いものを食べ、その余韻の中、苦がさを含むお茶を楽しむ。ヨーロッパのティの作法は、お茶の中に砂糖だのミルクだのを入れて飲む。

 こんなところにも和の文化、日本の特徴が見えるように思えたのであった。これは逆から見れば主体性の無さとして映るのかもしれない。

 店の入り口のすぐ外を、独立した別世界と感じるか、まだそこは内の延長と感じるか。掃除をめぐっての気持ちのズレも、このへんに遠因があるようにも思えるのである。

 そう言えば、インド人はよく「ご本の指は皆違うよ」と口にする。「どこどこで、ひどい目にあった」等と話した時に返ってくる答えである。

 インドにもいろんな人がいるから、それぞれは皆まったく違う、と言いたいのだろう。サーンチで会った英国帰りの日本人女性はそんな時、「でも同じ手から出ているよ」と言ってやるそうである。

 私もどうしても彼女と同じ気持ちになってしまう。勿論我々も、彼らも、同じ手から出ていることも、指がそれぞれ違うことも、充分知っている。けれど、その言外に、ちょっとしたずれがあるように思えてならないのであった。

 この言外の気持ちの違いで、最初にインド人と衝突したのは、マトゥラーのヤムナ河でのことであった。

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第3章 鬼は外、福は内
第5話 ヤムナー河騒動 No.012No.012
"Give me money."
"No!"
"Give me."
"I paid 50 Rs."
"Not me."
"Why you!"

 静かなヤムナー河の岸辺で私はいつしか、怒鳴りあいの中にいた。もうそろそろ夕方になろうかと言う頃であった。遠くにいた二、三人も我々に気付きこちらに向かって歩き始めていた。

 我々のボートを漕いでいた少年は、何事も無いかのように平然と舟をかたづけている。

 私とにらみあっている彼は、歳は三十位で、私より肉付きは良いものの、目の高さは同じであった。相手を見上げての怒鳴りあいというのは、少々やりにくいものがある。

 けれどこれならなんとかなる。こんな場合正しさよりも迫力が勝負を決める。負けてはいられない。変な英語がヤムナー河にこだまする。

 ヤムナー河というのは、デリー、マトゥラー、アグラーと流れ、アラハバードでガンジス河と合流する。やはり聖なる河である。

 マトゥラーのアグラアホテルはこのヤムナー河の岸辺近くに建っていた。私はマトゥラーにはその仏像を見るのを楽しみに来てみたのであったが、博物館の仏像はそのほとんどがイスラム時代に顔を破壊されていて、少々がっかりしてこの岸辺に立っていた。

 そんなときこの彼がやって来た。ヤムナー河のボート遊覧はどうだというのである。いくらかと聞けば100ルピーとのこと。宿が90ルピーであったからとても高い。断っていると、1時間50ルピーまで値下げをした。

 まあ、博物館が期待外れでもあったし、ちょっと乗ってみようかという気になった。まだインド7日目、用心のかたまりのようなものである。何度も確認した。トータルで1時間50ルピーと。彼はOKを繰り返しニコニコしていた。

 舟は十人は乗れそうな少々大きめのもので、彼ともう一人少年が乗り込んで、その少年が舟を漕いだ。彼はというと、しきりに私に話しかけていた。

 ヤムナー河といってもそう見所があるわけではないし、彼の話もそう面白くもない。私はあまり遠くへ行って、時間延長をとられても大変と、40分ほどで帰ることにした。

 岸に上って私はサンキュウと50ルピーを差し出した。すると彼はそれは漕いでいた少年に渡せという。私はその彼に50ルピーを渡して立ち去ろうとした。怒鳴りあいが始まったのはその時である。彼は私に詰め寄るなり、あと50ルピーよこせと言う。

 何を言うかこの野郎と思ってしまう。今払ったではないか、何度も50ルピーと確認したではないか、ふざけるんじゃない。私は立ち去ろうとした。と、彼はその前に立ちはだかる。

 今までもリクシャマンなどから降りると交渉時より多く要求されることはあった。そんなときはたいがい「ノオ」で、不満な顔はするけれど、それで終わりになってしまう。

 このように回り込んでまで立ちはだかるというようなことは無かった。駄目でもともとで、言うだけ言ってみようというのとは少々違うように思えた。

 が、そんな迫力に負けるわけにはいかない。こんなこともあろうかと乗る前に何度も確認したのだから。彼に勝る声になる。

私、
「50ルピー払ったではないか」
彼、
「それは彼(ボートを漕いだ少年)の分だ。私の分は何ももらっていない」
私、
「全部で50ルピーと言ったではないか」
彼、
「そうだ、ボート代は50ルピーだ」
私、
「じゃ終わりだ」
写真  マトゥラーを流れるヤムナー河。右手のボートで船乗りを楽しむ。私の乗ったのもこのうちの一つ。

 引きとめようとする彼の腕を振り切って私はそこを立ち去った。追いすがろうとする彼は、騒ぎに集まったインドの人達によって引きとめられていた。

 とんでもない話である。私は憤慨していた。彼が騙し取ろうとしているとしか思えなかった。けれど彼の当たり前と言った顔が、ホテルに帰ってからも、のどに刺さった小骨のように気になっていた。

 その夜、アグラアホテルの食堂で、インドには宝石を買いに何度も来ているという男性と同席した。彼にその話をすると、インドではそれぞれが完全な分業と思ったほうがよいというのである。

 例えば、食堂で、つくる人はつくる人、運ぶ人は運ぶ人、お金を受け取る人は受け取る人、と完全に分かれていて、運ぶ人にお金を渡しても受け取らないと言うのである。

 彼の言ったような状況には、私もその後何度も出会うことになるのだが、このボート事件もそういった捉え方の違いが根底にあったようである。

 つまり、指と手の話ではないが、日本的発想ではどうしても彼を全体の一員と見てしまう。

 ところが彼にとってはボートと船上のサービスとは別個のものであり、ボート代は確認したけれど、彼の行った船上のサービスへの代価は、交渉してみる余地が充分にあると思えたのではないだろうか。

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第3章 鬼は外、福は内
第6話 時の流れはデジタル?それとアナログ? No.013No.013
写真  カジュラホの雑貨店。2m四角のマッチ箱のような店が立ち並ぶ。

 ホテルの部屋に入るなりカメラをつかんで外に出、また小走りに寺院の方に向かった。少々息が上がっていた。そんなに急ぐ必要はないのにと思いつつも、五、六分で戻ると言った自分の言葉に縛られてしまう。

 カジュラホで、どこかで昼食でもと思ってのんびりと歩いていた時のことである。顔見知りが話しかけてきた。

 カジュラホは小さな村で、到着初日こそ他の街同様、ワッツとさまざまな人達に付きまとわれるものの、一日も断り続けると、だいたい顔見知りになってしまう。そうすると次の日から、勧誘の圧力もぐっと弱まり、彼らも雑談の方を楽しむようになる。

 そんな一人とチャイでも飲もうかと言うことになった。話しているうちに是非彼の写真を撮ってくれと言う。私がカメラを持っていないと言うと、ホテルに帰って持ってきてくれと言うのである。

 私も写真を撮るのはまんざら嫌いでもないし、それではと言うことになる。「五、六分で戻るから」と言うなり私はホテルに急いだのであった。

 ところが息せき切ってそこに戻ると、彼が居なくなっていた。店の人に聞くと、「どこかへ出ていった」とのこと。

「えっ」思わず聞き返してしまった。むなしく私の息だけが弾んでいた。私はアグラでのことを思い出し苦笑せずにはいられなかった。

 そのとき私は約束の十時の十五分ほど前に支度を整えホテルの前に立っていた。十五分、三〇分、四十五分、いっこうに彼は来ない。昨日約束したリクシャマンがである。

 そもそもこんな約束はしたくなかった。私は朝時間に縛られるのはあまり好きではない。けれどその日私をホテルまで乗せたリクシャマンが、是非明日も乗れとせがむのである。

 私は断り続けたのであるが、いいかげん解放されたくて「じゃ明日、十時に。」と約束をしたのであった。それを聞いて彼は喜んで帰ったのであったが、その彼が来ない。

 私は仕方なく通りまで出てリクシャをひろった。私は目立つ格好なのだろう、乗っていると、昨日の彼がリクシャをこぎながら大声で「ヤー」と声をかけてきた。

 私は「十時半まで待ったのだぞ」と声を張り上げた。すると、「オオーッ」と陽気に笑って手をあげた。悪びれたそぶりなど微塵もない。

 こうなると昨日の些細な約束にこだわっている私の方がなんだか滑稽に思えてくる。

「そんなことにいつまでも執着していると、ほれ、その目の前の『今』が逃げていくよ。ほらほら……」

 そんな悟りめいた声が、聞こえてきそうなのも、仏陀の故郷のせいだろうか。

 もっともインド北部は13世紀から五百年以上イスラムの勢力下にあり、そのコーランには「何事によらず『わしは明日これこれのことをする』と言いっ放しにしてはならない。必ず『もしアッラーの御心ならば』とつけ加えるように。…」〔井筒俊彦訳 岩波文庫18〕というのがある。

 モロッコを旅したとき、勧誘を柔らかく断ろうと「もし明日その気になったら…」と答えたら「インシャーラー」と返ってきた。聞くとどうやらこのアッラーの御心ならばということを意味しているらしかった。だからひょっとして彼の約束もこのインシャーラーだったのかも知れない。

 が、いずれにせよインドには福袋を開けるときのような楽しさがある。一つ一つが独立していて、開けてみなければわからない楽しさが。

 日本的気持ちで接すると、この「そのときにならねばわからない」という宙ぶらりんは、楽しさどころか、おおいなる苦痛である。

 しかし旅に関して言うなら、インドでは開けてみて、さあどうするかという時の、その方法は、宿にせよ移動にせよ食事にせよ、たいがいはその都度そこに充分揃っている。

 もしも心に、その成り行きを受け入れる余裕ができれば、インドの旅は、まるで双六遊びのような楽しさになる。

 ふらりと出かけてしまった彼とは、四時頃寺院前で会った。

「待ってろと言ったではないか」と言うと、あたかもそこで初めて時間が繋がったかのように、ニコリと笑ってポーズをとった。

写真  ふらりと出かけてしまった彼。夕方近くに寺院前で出会って、はいポーズ。
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