第5章 モザイクの美  《 第1部 インド編(その1) 初めての海外 》
第1話 カジュラホ賛歌第2話 カジュラホ騒動第3話 「常に闘いよ」第4話 優しさ二態
第5話 驚異のエローラ
第5章 モザイクの美
第1話 カジュラホ賛歌 No.017No.017
写真  チャンデーラ人々が残したカジュラホ寺院のミトナ像

 エロチックに柔らかく絡み合った肢体。ところが激しく求め合っているかに見えるその像の表情はなんとも静かで平和に満ちているのである。絡み合う肢体の表現が激情的であるだけに、その微笑の静けさはより強調され、神秘性さえ帯びてくる。

 明らかに現代のポルノとは違う。私は陽の傾きかけた西郡の寺院で、その表情に見とれていた。

 カジュラホには西暦1000年頃にこの地で栄えたチャンデーラ族の遺跡で有名なところである。私はその壁面のミトナ像を本で見て以来、その恍惚とした表情の美しさにすっかり惚れ込んでしまっていた。

 男女合体の像はチベットなどにも有り、一般には豊穣の祈りであったり、両性原理の合一による全体性の象徴等として理解されている。

 けれどこのチャンデーラの人達は、そういった他の何かの象徴としてではなく、性的エクスタシーそのものに宗教性を感じていたように思えてならないのである。

 というのもそれらの像には、象徴を越えた生々しさがあるにもかかわらず、その表情は明らかにある種の超越した何かを漂わせている。そこにはガンダーラ仏に見られた内面の表現とも共通するものがあるように思えてならないのである。

写真  その表情はとても静か

 私は以前インドの人達の世界は狭いといった。ということはすぐ近くに別の世界が迫っているということである。

 あるいはこういうことかもしれない。どうにもならない世界がすぐそこにあるということを知っているということかも。もし無限と思い込んでいる人が、限界を知る人を見れば、彼を狭いと思うのではないだろうか。

 いずれにせよインドの人達は古来よりこの意識の外、どうにもならない世界との交流を重ねてきたようである。そこは神々の住む世界。

 きっとチャンデーラの人達もそこで神に抱かれる神秘の道を、彼ら独自の方法で知っていたのではないだろうか。

 このカジュラホの寺院には、その別世界の痕跡と思われる事がもう一つあった。それは、それらの像の並べ方である。それは上から下、下から上、右から左、左から右へと止めどなく並べられている。

 天地、主従の構造が我々から見れば無いように見えるのである。勿論彫像の題材そのものにはあるのであろうが、それを並べ表現しようとする作者は、どれも同じ強さで表現しているように思えるのである。

写真  ずらりと並ぶカジュラホのレリーフ

 よく知られているように時間と空間は意識の産物である。人の意識がものを理解する時の形式である。だから例えば、意識の薄れる夢では、我々は別の形式でものを理解している。

 夢に於いては時間序列は整然としたものではないし、空間も同じように混沌としている。昔が今であったり、ここがあそこであったり。インド芸術の羅列的表現は、このような世界が大きく影響しているように思えるのである。

 この特徴はカジュラホばかりではない。サンチのストゥーパにある門柱の彫刻にもそのこぼれ落ちんばかりの表現に私は圧倒されてしまった。

 隅から隅まで、ドドドドドと同じ強さの表現が続く。まさに一拍子の迫力である。見ていて少し疲れさえ感じるほどであったが、その疲れをやさしく包んでくれる温かみを持っていたのもこれまた事実である。

 それはあの美しきタージマハールと比較してみるとよくわかるであろう。ドームを中心としたシンメトリーの中に、一分のすきもなく据えられたその姿は、インド文化に突き刺さったイスラムの美しき剣のように思えたものであった。しかし、あれもインドなのである。

写真  まったくの対照の中に正座するタージマハル

 インドらしきものもインド、インドらしからぬものもインド。インドとは、全てを呑みこみ、とうとうと流れるあのガンジス河のようなところがある。

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第5章 モザイクの美
第2話 カジュラホ騒動 No.018No.018

 「ワッハッハ、ワッハッハ」
数人の笑い声。
ドンドンドン、ドンドンドン、
誰かが床を足で踏み鳴らしている。
「♪〜♪♪」
誰かが歌を叫びだした。

 二夜連続である。懐中電灯で時計を照らして見た。11時を回っていた。日本でならまだまだ宵の口であるが、夜何もすることのないここカジュラホでは、11時といえば深夜に等しい。

 私は寝返りをうった。もうそのうちにおさまるだろう。昨夜も今ごろおさまったのだから。

 人間とは妙なもので、気になると神経はそのことばかりに集中する。脳みそが眉間あたりでキュッと絞られたようで、ちっともリラックスできない。これでは眠れたものではない。

 デリーでもグワリオルでも、真夜中に大声でドアの前を歩く人達におこされたものである。まったく人の迷惑というのを考えないのだろうか。だんだんと腹が立ってくる。こうなると実際の音というより、抗議にいけず我慢している自分に腹が立ってくる。

写真  カジュラホの夜 ライトアップされた寺院郡

 11時半、たまりかねて立ち上がった。音のするのは3m程離れたテラスの前の部屋からであったが、各部屋は日本のホテルのように、防音壁で囲まれたものといった代物には程遠く、ドアの上の欄間は大きく切り開けられたままで、騒ぎは全て筒抜けなのである。

 しかも、静まり返った夜のカジュラホにあっては、それは大音響で響き渡る。

 私は意を決してドアをノックした。 ドアが開き中から男がヌッと現れる。部屋では7〜8人が車座になって座っていた。宴会か、何かお祭りの後のような雰囲気であった。

 「エクスキュウズミィ」 私は眠そうな顔を作ってそう切り出した。その声を聞き中からもう2人出てきた。そのうちの一人は銃身を上に向けて、鉄砲を腰で支えていた。

 本物か、何かの儀式用か知る由もなかったが、その顔に別に敵意がなさそうなのに安堵して切り出した。

 「夜も遅い。騒がしくて眠れない。もう少し静かにしてくれませんか。」と。 当然「ああ、すみません」といった答えか、あるいはその逆の「よけいなこと」と怒鳴り返されるかのどちらかだろうと思っていた。

 ところが、 「ああそうですか、遠慮はいりませんよ、どうぞ眠ってください。我々のことは気にしてもらう必要はありません。どうぞ眠ってください。」と言うのである。

 キョトンとしてしまう。何かが噛み合っていない。 皆さんは私の英語力に問題があったのだろうと言われるかもしれない。そうだとしても、夜中の11時半に隣から眠れないと言ってきたら、もうその意味は明らかなはずだ。人の迷惑といった観念が全然無いように思えた。

 私はそういった答えは予期していなかったので、言葉を失ってしまい、自室に帰されてしまった。

 しかし騒ぎはいっこうに止む気配がない。こうなると一層気になる。0時5分、たまりかねて再度の抗議を決意。今度は「人の迷惑というものを考えるべきだ」という言葉を用意して出かけた。

  この時はホテルの人も注意に来ていたらしく、私の言ったことを引き継いで何やらヒンディー語で言ってくれた。

 5分後、彼らはさっといなくなった。あたりは何の音もない、いつものカジュラホ村に戻った。

 人の迷惑というのもどうやらぶつかる所まで行くらしい。その後も夜中の二時頃、ホテルに大声で騒ぎながら帰ってくるという人々に、少なからず出会った。

 たまりかねると抗議に行く。日本でなら抗議をしたら喧嘩になるのではと心配するところである。ところが、彼らは抗議されて根に持つような様子はあまり見うけないのである。

 勿論こちらから怒鳴るわけではないが、こちらが何を要求しているか理解すると、あっさり聞き入れてくれる場合がほとんどであった。そういう点はとても気持ちの良い人々である。日本人のように感情を引きずらない。

 旅も後半の頃、ボンベイ(ムンバイ)からゴアまでのバスに、間違って乗り込んできた家族ずれがいた。途中で間違いと気づいたらしく、降りろ降りないで激論が始まった。

 私の席からはちょっと遠くてよくわからなかったが、取っ組み合いが始まるのではと心配するほどの激論の後、彼らのバスのくる所まで行くといったことで、妥協が成立したらしい。

写真  オーランガバード発の観光バス。落書きのようなバスの模様がなんとも愉快

 そうするとバスのなかのムードは、パッといつものムードに戻ったのである。その乗客も他の乗客も車掌も、あたかも何も無かったかのように周りの人達と会話を始めた。そしてとある所でその車掌の手招きでにこやかに降りていった。

 日本人にはこういう芸当は出来ないだろうと思った。かたや言葉の文化、かたや感情の文化。

 思うに日本人は自らの感情のコントロールが苦手のようである。自分が苦手だから相手の感情も非常に気にする。気にするから言いたいこともハッキリ言えない。ハッキリ言わないから言葉を真に受けることが出来ない。相手が真に受けないからよけい言わない………。

 本音と建前が分離し、腹芸、裏芸が幅を利かせる。これを「相手への思いやり」と解する人もいることであろう。確かにそういったやさしさもある。けれど、私はこのまだるっこさに少々うんざりもしている。

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第5章 モザイクの美
第3話 「常に闘いよ」 No.019No.019
 「ダメダメ、この車じゃダメ」
 「どうたらこうたら」
 「ダメだと昨日いったでしょう。サスペンションがダメなの」
 「どうたらこうたら」
 「昨日あなたはOKしたじゃないの、車を取り替えなさい」
 「どうたらこうたら」
 「いいわ、わかったわ、マネージャーと話すから連れて行きなさい」

 我々は後部座席に乗り込み、近くのオフィスまで。乗り心地はそんなに悪くない。もっとひどい車にも乗ったが私はインドではこういうものかと思っていた。彼女はオフィスでマネージャーとやりあっていた。結局彼女の言うとおり車を取り替えることになった。

 ところが、車とドライバーはペアーになっているらしく、別のドライバーが乗り込んできた。彼の英語はそううまくはない。すると今度はドライバーを戻せと言う。

 前日に英語の話せるドライバーをと話しておいたというのである。彼女は面と向かってはっきりと彼に言うのである。「あなたは英語が話せないからダメです。変わりなさい」と。

 結局もとのドライバーがその車に乗ることになって、一件落着。我々はエローラへと出発することになった。

写真
 エローラからはるかデカン高原を見渡して

 「インドでは何をするのも闘いよ。座席に座るのもそのつもりでいなければダメですよ。」 私は昨日彼女の言ったそんな言葉を思い出していた。

 彼女は年の頃は40歳くらいであろうか、フランス人でデリーで英語を教えながら各地の写真をとっているというカメラマンであった。

 前日ホテルの野外食堂で、私の前のテーブルでメモをとっていた彼女が、私と同じニコンのカメラを持っていたので、ついつい親しみを感じ話し掛けてしまったのであった。

 話がはずむうちに、私が列車の中で女性に座席を取られてしまったという話をしたときの答えが、その「インドでは何をするにも闘いよ…」というものであった。私はその言葉の意味をまざまざと見せられる思いであった。

 彼女は昨日それを要求し、向こうは承諾した。だからそれを実行させるのは当たり前のことである。当たり前のことではあるが、立っているスタンスが私と少し違うように思えたのである。

 私なら、「まあ仕方ないか、これがインドか」と途中のどこかで、きっとあきらめてしまったことであろう。

 私は正しいことはいくつもあるように思ってしまう。インドにはインドの正当性があるのだろうと。だからその分交渉するにも今一つ弱くなってしまう。

 ところが彼女の態度には「正しいことは世界共通、且つ、一つ」ということを信じて疑わないようなところが見られるのであった。

 妥協を許さぬその態度は、単に快適さを求めると言うよりも、インドの人達に「正しいことは何かを教えるのだ」といった使命感のようなのさえ、感じられるほどであった。

 言葉にしてもそうである。私は現地の言葉が話せないことに、ちょっとした申し訳のなさのようなのを感じていた。ところが彼女は英語(公用語とはいえ)を話せない人は相手にしない、といった態度なのである。


写真 写真
ストゥーパ門柱のレリーフ(サンチ) 北斎(富嶽36景 平凡社)

 この違いはいったいどこに起因するのだろう。単なる個人差だろうか。それとも女と男の心理の差だろうか。あるいは一神教の文化と多神教の文化との違いであろうか。

 私は全体の構想の整ったヨーロッパの絵画と、部分を描き後はあいまいの中に残す浮世絵の手法と、隅から隅まで、力を抜かぬ独立した一拍子のリズムで描く、インド芸術の違いを思い浮かべていた。

 天地は一つの秩序に支配されているのでしょうか、それともそれは見る角度によって違うのでしょうか、あるいはそれとも、独立の個々の寄り集まりの結果なのでしょうか。

 まあそれはともかく、彼女の頑張りのおかげで、私は何の苦労もなく、快適なタクシーに乗って、オーランガバードからエローラに行くことが出来たのであった。

 そのエローラで私の見たものは、インドというよりむしろ日本人の姿というべきかもしれないが、その前にインドのモザイク世界に見えたもう一つの特徴を、次回にお話することにしよう。

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第5章 モザイクの美
第4話 優しさ二態 No.020No.020

 なんと危ない!

 デリーの大通り、車がビュウンビュウン飛び交う車道の真ん中を、足の不自由な人が、小さな車の付いた板の上に座って、両手で地面をかきながら、ゆっくりゆっくり右折していくのである。

 インド到着間もない頃であった。オートリクシャの後ろの座席にいた私の目に飛び込んできたこの光景に、思わず目を見張ってしまった。なんと無鉄砲な、誰も注意しないのだろうか。それがそのとき一瞬私の頭をよぎった思いであった。

 ところがどの車も、どのオートリクシャも、警笛すら鳴らさず、まるで川の流れが岩を避けて流れるように、スムーズに彼を避け流れていくのであった。 私にはその光景が、彼の堂々とした態度と、皆が当たり前として受け止めているその静けさが、驚きを越えむしろ感動的であったのを忘れられない。

 インドを旅すると見るのもつらい光景に度々出会う。当時デリーのコンノートプレイスからニュウデリーの駅に行く途中、大きなスラムがあり、そこを通るたびに、その悲惨さにに心を痛めたものである。

写真  オーランガバードにて、カメラマンとしてはもう少し近寄りたかったけれど。

 例のフランス人女性はインド人は仲間に冷たいと評していた。道でどんなに貧しい人に出会っても平気であるというのである。極端な例として、ある地方で子供が野犬に噛み殺されるので、人々が野犬を殺し始めたら、時の政府関係者は、生き物を殺してはならないといったというのである。

 事の真相は私の知るところではないが、そんなことがもっともらしく思えるところもある。

 6年後の話であるが、カルカッタの街に牛がまったくいないのと同時に、乞食の人が非常に少ないのに驚かされ、そんな話をしたら、あくまで噂であるがと言って、マザーテレサの葬儀の際に、諸外国から要人が来るというので、カルカッタの乞食をトラックに積んでデカン高原に捨ててきたというのである。

 まさかとは思うのであるが、そんな話しが、まことしやかに話される素地が無いこともない。

 オーランガバードの駅前で親しくなった子供に、別れ際ドーナツを一個買ってやったことがある。喜びいさんでかけ去った彼は、兄らしき子を連れてきてもう一個買ってくれという。私は手振りで半分ずつせよと言ったのだが、何度言っても彼は分けようとはしなかった。

 マトゥラーの河原で会った子供達の時もそうであった。どうも彼らには半分ずつ分け合うといった感情はないようである。まるで自分と他はあくまで別の世界の存在のよう。

 こういった点にスポットを当てると、彼らは仲間に冷たいというのもうなずけるものがある。ここから見ると仲間の哀れに心痛める日本人は心優しく、まるで別世界のような感情の中にいる彼らは、心冷たいという見方になろう。ところがこれを裏返すと必ずしもそうとは言えないのである。

 ちょっと理屈っぽくなるかもしれないが、人の痛みを自分の痛みにする「心優しき日本人」の心には、そういう状態は「あってはならないもの」という感情が同居している。

 これは「だから何とかせねば」という積極的動機になる反面、あってはならないそういう存在を、自分の周りから排除しようとする残酷な感情と紙一重である。

 恐らくこのように言っても、多くの人からは、「そんなことはない」と否定されるであろう。「それはひがみよ」とか「親切で言っているのだから有り難く思いなさい」といった言葉と共に。

 けれど同情される立場を味わったことのある人は、同情の顔の向こうに見えるこの否定される残酷さを、知っているのではないだろうか。

 その点、他人に冷たいと評されるインドの人達は、とても温かく優しい。隣にどのような人がいても、別にああだこうだという感情は生じないようである。そのままの状態を、そのままの存在を、受け入れてくれる。

 例えば露天の店先に、乞食が物乞いに来ている場面によく出会わせたが、そういう場合必ずといっていいほど店主は、ほんの一握りではあったが、ピーナッツとか葡萄とか彼の商品を与えていた。

 与えているのだから優しいではないかと言うとそうなのだが、なんと言うか全然同情がないようなのである。一握りを与えるのも当たり前なら、彼が飢えているのも当たり前といった感じなのである。

 また与えられる方にも、そういった感がある。たまに物乞いに何がしかを与えたとしても、「ありがとう」といった態度は示してもらえない。

 いや確か感謝の態度はあるのだが、何と言うか「神に感謝」といった態度で、決して人に卑屈になるようなところは見受けられない。せっかく与えたのにと少々自惚れ的不満はあったものの、妙に落ち着いたものを感じたのも事実であった。

写真  ゴアのバスターミナルの物乞い、まるで仏像のよう。

 勿論「あってはならない、だから何とかせねば」という感情を私は否定するものではない。けれどそのままを、そのままで良しと受け入れる心も、もう一つの優しさであり、温かさであると私は思うのである。そんな優しさに触れたとき、日本からの旅人は、インドをこよなく好きになるのではないだろうか。

 ちなみに私は、どこの国でもやってくる乞食の人に対して、成人、子供、子持つ母に対しては丁寧にお断りしている。

 ただ障害をもつ人にだけは、出来るだけ何がしかをするように心がけている。とはいっても寺院前とかで団体でおられると、お断りせざるを得ない。別にこのことに意味はない。ただ自分のルールを決めておかないと、きりがないからである。

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第5章 モザイクの美
第5話 驚異のエローラ No.021No.234

 エローラには驚いた。アジャンターの石窟にも驚かされたが、ここエローラでとどめのパンチを食らった感じであった。何がといってそのスケールの大きさにである。

 人工物としての私の想像をはるかに越えるそのスケールの大きさを、どのように理解してよいのか途方に暮れ、ちょっと日本的な感性に対する自信が、喪失していくような虚脱感に襲われたほどである。

写真
 カイラーサナータ寺院の正面。寺院は立てられたのではない。岩山から空間が削り取られたのである。信じられますか。

 4月のデカン高原はとても暑い。アジャンターのホテルでは、昼間は水のシャワーが熱湯になってしまっており、熱くて使うことが出来なかった。

 そんな暑さの中を歩き回るコツは、私の場合出る汗に負けぬくらいの水を飲むことである。つまり多量の汗にもかかわらず、普通のサイクルで小便が出るほど水分を取っていると、あんがい快調である。

 ついでに下痢についても私の経験を一言いっておくと、旅にての下痢の要因には、さまざま考えられる(病菌、水、ストレス等)のであるが、あんがい見落とされがちなのに、食べ過ぎがあるということである。

 旅では食事が不規則になりがちである。時には朝から水しか飲んでいないということもある。

 そんな場合、体力をつけなければと、一度に二食分食べようとしたり、また、国によっては一食に出される量が異なり、ついつい出されたものを、全部食べてしまったり、あるいは町で珍しいものを見つけると、ついつい間食を重ねてしまう。

 これでは日本にいてもお腹をこわす。お腹をこわすと体力のみか気力も萎えてしまう。そうすると、せっかくすばらしいものを見ても、感動も生じない。

 私はアジャンターでの失敗を反省し、ここエローラでは適度の食事に充分の水を持って出かけた。

 まず、度肝を抜かれるのが、メインストリートの正面にある、カイラーサナータ寺院である。西暦756年に着工され、100年以上の歳月を要したというこの寺院は、一つの岩山を金槌と鑿で刻み取ったものなのである。

写真  カイラーサナータ寺院の中、ナンディー堂と前殿。

 目の前で展開されるその門の壮大さに驚かされるが、それはまだほんの序の口、中には更にナンディ堂、前殿、本殿と続く。それらは全て名ばかりの祠ではない。皆どれも堂々とした建物なのである。いや建物の姿をした彫刻である。

 しかもそれらのあらゆる面に、例の隅々まで手抜きを知らぬ一拍子のリズムで、彫刻が施されている。そしてそれら全体を、岩山の残りが回廊となって取り囲む。その回廊全体にも、これまた手抜きなしのレリーフが、刻み込まれているのである。

 それらは皆、門の柱も、門の壁も、本殿の屋根も、その柱も、その床も、ぎっしりと並ぶ彫刻も、全てを取り囲む回廊もそのレリーフも、全て一つの岩で連なっているのである。

 どうしてこのようなことが出来ようか。日本人ならせいぜい一つの彫刻くらいであろう。どれだけ頑張っても、どれだけ逆立ちしても、せいぜい建物の一つを完成させるくらいで、それを大事にありがたがることであろう。

 その建物を三つも連ね、それを門と回廊で取り囲むなどという芸当は、とてもとても、とてもとてもである。しかもである。

 しかもここエローラには、このカイラーサナータほどではないにしても、そういった石窟が34も残っている。このスケールをなんと理解すればよいというのか。

 このエローラの岸壁に映し出された己の姿は「諦めの人」であった。「日本人の文化の特徴は、諦めだなあ」とつくづく思った。

写真  寺院を取り囲む回廊にも、一個一個手抜きなしのレリーフで飾られている。

 私はこのシリーズで、インド人の精神的特長として、感情領域の狭さという表現をしてきた。

 それに比べると日本人は少し広いように私は思う。というのは日本人の場合、現在の行為を常にそのゴールと結びつけて、やる気をおこしているように思えるからである。

 旅にしてもそうである。どうしてもゴールを頭に描き、そのためにああしてこうして、とスケジュールを立てる。

 これは一面、合理的ではあるのだが、こと心の問題、例えば、やる気・楽しさ・不安といっこと事に関していえば、必ずしもそうとはいえないのである。

 私がインドの旅でまず衝突したのが、こういった態度であった。インドでは、行って見なければわからない、といったところが多分にある。これには福袋のような楽しさがあるのだが、慣れないとそれが不安でもあり苦痛でもある。

 同じように我々はゴールの見えない場合、そのことのやる気を、急速になくしてしまうことが多い。人生における挫折も往々にしてそんなところにあったりもする。ついついゴールを見てしまい、それに比べてのあまりの自分の未熟さに、歩む気力を無くしてしまうのである。

 あるミュウジシャンが、若者へのアドバイスとして、子供たちを集めたテレビ番組で、「きちっとした計画に従い、次の一歩を見て、ゴールを見ないこと」と言っていたことがあった。

 あるいは大記録を打ち立てたスポーツ選手が「よけいなことは考えないようにしている。一日、一日が…」とか「記録は後からついて来るもので…」といったことを耳にしたことがあるだろう。

 それが幸せかどうかは別の問題として、なまじっかの広さは、なまじっかのところまでしか、人を駆り立てないようである。

 エローラのこの偉業は、自分が死ぬまでにどこまで出来るか、などと考えていたら、とうてい出来るものではない。これはゴールを目指すのではなく、今に打ち込む人の偉業であろう。いうなれば狭きがゆえの偉業である。

 ヒンドゥー教各派共通の教典とされる「バガヴァッド・ギーター」には、次のように述べたところがある。

…… あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。 ……

…… 知性をそなえた賢者らは、行為から生ずる結果を捨て、生の束縛から解脱し、患いのない境地に達する。 ……

…… すべての欲望を捨て、願望なく、『私のもの』という思いなく、我執なく行動すれば、その人は静寂に達する。アルジュナよ、これがブラフマンの境地である。 ……(上村勝彦訳 岩波文庫)

 この山を削った人々に意味があったのは、完成した寺院ではなく、そのノミの一撃一撃、そのハンマーの一振り一振りであったに違いない。

 その意味でこの完成した寺院全体は、人の外の存在、つまり神の創造物といえるのではないだろうか。

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