第1話 目の前の怪 | 第2話 1勝1敗1引き分け |
「はい」
私は少し戸惑いながら立ち止まった。年の頃は60歳くらいであろうか、こざっぱりした服装の夫婦が私に道を聞くのである。
そんなばかな、と思ったが、ここボンベイ(ムンバイ)で道を聞かれたのは2度目なのである。
少し街を歩けば結構中国系の人も住んでいるようで、現に私も今しがた、中国人の経営するホンコンレストランで、中華ソバに舌鼓を打ってきたところであった。きっとそういう人に間違えられたのであろう。
エローラで会った日本の若者に教えてもらったボンベイインド門前の中華レストラン。久しぶりの馴染みの味と、清潔感に大満足。 |
「私も旅行者なのですよ」、そう言うと彼らは、にこやかに、「どこの国からですか」と聞く。
旅もこの頃になると、私も少し英語に慣れたのか、やさしくゆっくり話されると、異国の人との会話は結構楽しいものであった。
「日本です」と答えると、急に顔をほころばせ、5月に韓国から日本に行く予定であるという。そこで話題は日本のこととなる。
日本の気候はとか、食べ物はとか、色々聞いてきた。考えてみれば、これまでインドで人に尋ねてばかりいた。立場変わって教えるというのはそんなに悪いものでもない。私はすっかり打ち解けた気分になっていた。
「私達はまだ日本のお金の実物を見たことがありません。お札はいくらからですか。」
「千円、五千円、一万円です」
「百円はお札ではないのですか」
「百円はコインです」
「千円札はどんな色をしているのですか、ちょっと見せてもらえませんか。」
「千円札は持っていませんが、このような色です。」と持っていた本の一部の、よく似た色を指差した。
「何か日本のお金を見せてもらえないでしょうか。一度見ておきたいのですが。」
私は腹巻に米ドルのトラベラーズチェックのほかに、一万円札を一枚だけ持っていた。日本に帰った時の家までの電車賃である。
どうしようか…頭の中でいろんな考えが回転する。力では私のほうが圧倒するだろう。彼らが走って逃げても簡単に追いつけそうだ。それに人も良さそうであり、せっかくの楽しい会話をここで中断するのも悪い気がする。
そんな思いが駆け巡った結果、私は腹巻から財布を取り出し、一万円を彼らに見せた。
彼はそれを手に取って見たいという。ちょっと気にはなったが、私の方が圧倒的有利な力関係の中でもあるしと思って、それを渡す。
いくら気が緩んでいるとはいえ此処は異国、私は目を皿にして、手の届く距離で、瞬きもせずに、彼の手元を見つめていた。彼はその裏表をみたり、奥さんに見せたりした後、さも参考になったというふうにありがたがって、それを私に返した。
無事返されたことで少々ホッとし、それをしまおうとした時、彼は私のもう一方の手に握っていた、トラベラーズチェックを見せてくれと言う。
私はこれは日本のお金ではないと言ったのだが、言葉が通じない様子で、強引に要求する。私は仕方なくその束を渡した。
すると彼はそれを裏返し、束を破ろうとする。この妙な動きに私はあわてて「ノオ!」と声を張り上げ、グイと束を奪い返した。ほんの一秒か二秒の出来事である。私が目を離さず見つめるほんの一メートル程先での出来事である。
女性は仕切りに謝っていた。
"Sorry,disturbing you."
こういう情況で聞いた英語は忘れられない。
私は奪い返したトラベラーズチェックを腹巻にしまい、ホテルに帰った。けれど道々男の不自然な手の動きが妙に気になって、部屋に入るなりベッドに財布の中身を全部出して調べてみた。すると、20ドルチェック四枚の束が無い。
私は50ドルのチェックを主体にしていて、20ドルチェックの束は、旅の終盤の調節用として、四枚持っていただけであった。
当時のトラベラーズチェックは横に綴じ代が付いていて、私はそこをホッチキスで止め、50ドルと20ドルの二束を持っていた。
彼に見せた時、偶然50ドルが上、20ドルが下になった。彼はその下の数枚を高額と思ったのか、はたまた彼のドジか、まるで手品のように、私の見ている目の前で、見事に抜き取ったのである。
見事としか言いようがない。50ドルの束なら私も真っ青であったろうが、小額の方であったこともあり、私は一瞬あっぱれとさえ思った程であった。
けれどしばらくすると段々と悔しくなってくる。彼らの見事な心理戦にはまって、間抜けな日本人を演じてしまったかと思うと、むしょうに腹が立ってきた。
そこで面倒とは思ったが、警察に行くことにした。犯人は見つからないだろうが、盗難照明をもらえば再発行してもらえるはず。そのためのトラベラーズチェックである。
街のお巡りさん |
私は散々探して警察を見つけ事情を話した。しばらくそこで待たされていると、若い刑事が来て「盗難だと捜査をせねばならず、二、三日はかかる。紛失だと直ぐに証明書が出せるし、再発行もしてもらえて問題ないから、紛失にしてはどうか」と言ってきた。
まあ仕方がないかと思いはじめたころ、上官が来て「盗難と言っているのだから盗難で捜査せよ」と叱りつける。彼らはしぶしぶ重い腰を上げ、「ではこれから街に捜査にいくから同行するように。そして犯人を見つけたら知らせろ。」と言う。
私はてっきりパトカーに乗って回るものと思った。内心パトカーでの市内見物とはシメシメなどと思って後に続いた。ところが彼らは、ホールを過ぎ、門を出、街中へとドンドン歩いていく。なんと歩いてのパトロールであった。
私はその日散々歩いていたので、ドッと疲れの出る思いであった。彼らもやる気がないらしく世間話のようなのをしながら歩いていた。
犯人など見つかろうはずがない。結局歩きくたびれただけでオフィスに帰った。が、何はともあれ私は証明書を手にすることが出来た。私はそれを持ってアメックスに行き、翌日再発行してもらうことになった。
わら半紙にボールペンで書かれた証明書。ホテルでよく見たら紛失照明となっていた。 |
ところが、翌日行ってみると、デリーの本部からの電話による質問に答えなければならないと言う。不正がないかのチェックらしい。私は英語の面接試験でも受けているかの緊張であった。
というのも、電話の場合情報は耳からだけしか入ってこないため、全神経を耳に集中させていなければならない。
面と向かっている場合は、身振り手振りや表情で、知らず知らずにそのかなりの部分を補っているものである。電話ではそれらを全て奪われ、裸の言葉だけでの会話となる。
旅をしていて「少しは私の英語も通じるようになったかな」などと思っていたのではあるが、通じるようになっていたのは、やはり身振り手振りのほうだ。額に汗する思いであった。
アメックスには600ドルと、パスポートや免許証など全てを盗られたという、白人青年が駆け込んで来た。
盗られたのがチェックの80ドルのみであったのを幸いと思ったものである。私はその場で再発行されたチェックを手に、むしろ一仕事終えた満足感のようなのを感じながらアメックスを後にした。
一件が落着してみると彼らの見事さが(最もトラベラーズチェックなどを盗って、はたして換金出来るのかとも思うのであるが)改めて思い出された。特にその見事な心理戦術は勉強させられるものがある。
私の生まれは忍者の故郷伊賀上野である。といっても偶然そこに生まれたというだけで別に忍者とかかわりがあるわけではない。けれど、そこに生まれたということで何となく忍者に親しみを感じている。
その彼らの第一目的は敵の情報をいかに引き出すかということで、派手な体術よりも、ターゲットとした人物の心を開かせる心理戦術こそ、彼らが最も力を注いだことのようである。
その戦術の一つに「車に載せる」というのがあったらしい。例えば「色欲車」とか「金欲車」に載せるといったもので、相手をその欲に載せてヨイショして情報を引き出すというのである。
私は「私の方が圧倒的に強い」という自信をくすぐられ、彼のヨイショに見事に載っかり、街中で腹巻から財布を出すなどといった愚行をしてしまったのである。
ボンベイにはそんなトリックが満ち満ちていた。旅人をうまく引っかけるあの手この手の心理作戦が、客の食いつくのを待っている。
絶対にだまされまいとすれば、旅人にとってボンベイは危険な街。
「その手口を楽しんでみようか」とゆとりをもてば、そこにはまるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさがある。
工夫を凝らしたさまざまなトリックは、愉快なマジックショウ。時にはこちらが手口を見破ったり、あるいはまんまと一杯食わされたり。巻き上げられるお金はそのショウの入場料。
「ボンベイマジック」、私はそんな言葉を思いうかべていた。
植民地時代の重厚な建物が多く残るボンベイ(ムンバイ)の街。写真はヴィクトリアターミナス駅 |
「ガリッ」耳の中で石を削るような音がした。
「大きな耳垢が溜まっています。取りましょうか。」
エッ、そんな馬鹿な、と思っていると、再びゴリゴリと何やら引っかく音が耳の中で頭に響く。
「これを取るのなら、もう50ルピーいただきますが。」
私は日本で、実際に大豆半分ほどの大きさの耳垢を、医者に取ってもらったという人の話を、聞いたことがあった。その人もそんなになっていようとは、全然知らなかったという。ひょっとして私もなのだろうか。
その耳掃除屋が寄ってきたのは、薄暗くなりかけたボンベイの街を歩いていたときのことであった。身分証明書のようなのを見せて、自分は医療関係のものだという。当然そんなのはいんちきに決まっている。
耳掃除は他の街でも多く見かけた。けれど私は、だまされるだろうと思って断っていた。しかし、ここボンベイに来て、どんなものか試してみようかという気になったのである。耳垢があると言われたのは、道端に座って気持ちよくほぜくられていたときであった。
さてどうするか。多分いんちきだろうが、耳の中の音はいやに生々しい。そのままほっておくのも気になる。
「OK、50ルピー」
そういうと彼は神妙な顔で耳の中をほぜくると、米粒ほどのものを取り出し私に見せ、小さなペンチのようなので、ガシッと潰して捨てたのであった。
耳は自分で見ることが出来ない。それに耳の中で実際に音を聞かされると、例えインチキだと思ってもそのまま放置されては困る。客は取り除くことをたのまざるを得ない。耳をさわらせた時点でこちらの負けと言える。
数日後、その時近くにいた見覚えのある男に出会った。彼は男が私の耳に巧みに小石を入れるのを見たと言う。じゃ何故その時言ってくれなかったのだと言いたくなる。この時点で彼は、私の信用を失っている。
ところがその彼は、見たことを打ち明けたことによって信用が得られたと思ったのだろうか、延々と彼の身の上話を始めるのであった。
要点はこうだ。
「私はボンベイに母の薬を買うために来たのだが、全財産を盗まれてしまった。薬を買うために50ルピーどうしても必要である。それに三日間なにも食べていない。…」だって。
私は笑ってしまった。なんとも見え見えである。その上この見え見えを演じるにしても出だしで彼は間違ってしまった。初めに「敵側」に味方しておいて、後でいくら同情をひこうとしても、それは無理な話しである。
やはり「五本の指は皆違う」というインド独特の発想なのだろうか。その点に気づかず、同情を得ようと努力すること努力すること、鼻で笑って聞いているのが気の毒になるほどであった。
ボンベイマジックは夕方が多い。耳掃除も夕方で、見せられた石がよく確認出来ない黄昏時であった。私がダンシングドールというのに出会ったのもそんな時である。
商店街の人だかりの中で、10cm程の小さな人形が二つ、ピョンピョン、ピクピクと飛び跳ね踊っていた。
人形には黒いナイロンの糸が一本張られていて、その端の粘土をその辺の壁などにくっつけると途端に踊りだす。私はその原理が分からず不思議でしかたがなかった。
聞くとインディアン磁石で動くと言う。確かに磁石の同極は反発しあい、一度は飛び跳ねるとしても、ピョンピョンとした動きはするはずがない。好奇心がムラムラと頭をもたげてしまう。
何度見ても原理がわからない。不思議である。「いくらか」と問えば60ルピーとのこと。買うことにした。
普段ならそれを手にして帰るのだが、私も今や、ちっとはインド体験者。その場で包みを解き試してみた。ちっとも踊らない。あわてて男が来て動かせて見せる。よく踊る。彼は再びそれを包んで私に渡した。
私は納得がいかず再度包みを解こうとした。すると彼はホテルでやれと言う。そんなわけにはいかない。彼の制止を振り切ってもう一度試す。やはり動かない。仕方なく彼は再度やることになった。
見えた!ナイロン糸は実は3本あり、彼は巧みにそのうちの一本の端を観客の一人に渡すのであった。渡された仲間はそれを指に巻き、その指を見えない尻の後ろあたりで、ピクピクと動かす。その糸で人形が踊る。
見物人と思っていた彼らは、仲間だったのである。私の「勝ち」。人形は返し、お金を返してもらった。けれど今から思えば、記念にそのまま持ってきた方が面白かっただろう。
インドで初めてだろう、仕事で走っている人を見かけ、ふと日本を思い出してしまう。 |
また、街中でトランプ賭博をしているのに出会ったことがある。三枚のトランプの位置を変え、何処にいったかを当てるというやつである。
私が通りかかった時、客の一人がトランプを調べさせろと要求した。彼はそのトランプを調べるふりをして、その一枚に爪で印をつけ、返すのであった。勝負は決まったも同然、当然客の連勝、胴元は負けるばかりとなる。
その勝ちっぷりを見せておいて、彼は私に加われと言う。私が「ノオ」と言っていると、私の分だと言ってお金を賭け、勝ち分を私に渡そうとする。
ここまでくると勧誘過剰である。誰が他人の為にお金を賭け、ただで儲けさせるなどするというのか。裏がありますと言っているようなものである。私は立ち去った。
後日同じ賭博を、別のグループがやっているのを、何度も見かけた。そこでも私が立ち止まると、客の一人が私の見える位置でカードに印を付け、大もうけを始めた。同じ展開である。
私はこれには食いつかなかったので、事の顛末を紹介出来ないのはちょっと残念ではあるが、明らかにこれも旅人を待ち受けるボンベイマジックの一つであろう。
考えてみればマジックはペテンである。どちらもいかに見事に客をだますかである。けれど一方は娯楽、他方は苦しみ。何が違うのか。勿論損得の問題がある。けれど心理的には、一方は結果にこだわらず、他方はそれに執着する、ということがいえるのではないだろうか。
ボンベイまで旅を続けるうちに私の気分は「多少のことはまあいいか」というようになってきていた。そういった気分でいると、ボンベイのペテン師たちは、楽しいマジシャンに見えてくる。
もし自分への執着から離れることが出来れば、人生のあれやこれやも、ひょっとして楽しいショーのようになるのかもしれない。ボンベイマジックはそんなことを私に語っているように思えたのであった。やはりインドは仏陀の故郷である。
五月一日、エアインディアのスト解除後初の便で私は、日本に帰ることになった。
飛行機が来ないという事態から始まった私の初めての海外旅行も、このボンベイマジックでお別れとなる。
思えばこの便も果して乗れるのやら、なかなかはっきりしなかった。オープンチケットで来ていた私は、半分をテロで爆破されたエアインディアのオフィスに何度も通い、やっとはっきりしたのはその前日であった。
※ ※ ※
インドは衛生的でなく、騒々しく、なにごともいいかげんで、仏陀などどこにもいそうにない国である。しかし、何事にもこだわらず、陽気で、人懐っこく、温かくて、親切な仏陀の故郷である。
インドはもう充分だと思いつつ、『こんど会うのは来年かな』と別れ際、敬礼のかっこうでおどけてみせたボンベイのホテルマンの顔を思い出すだけで、また行きたくなってしまう不思議な国である。
※ ※ ※
当時の旅日記の最後のページである。