価値マンダラ思考 第15回 靖国政治 (4)
価値マンダラ思考 第15回 靖国政治(4) / 2006年3月23日
【第2節 伝 統 】
伝統を根拠にする人達がいる / 不明の原理が導くは / けれど器が変わるから / 歴史はご破算には出来ない / 靖国70年そして戦後60年 / 伝統とは、環境への治まり方の歴史
靖国政治 目次 ⇒
第1章 いくつかの原理的確認
第2節 伝統
伝統を根拠にする人達がいる

 靖国神社を国家体制に押し上げようとする人達の多くに、その根拠を日本の伝統においている人達がいる。彼らは、天皇を権威に戴いた伝統こそ、日本を規定する枠組みに正統性を与えるもので、西欧生まれの民主主義は、日本においては害でしかないと主張する。

 その結果、現在に噴出する殺人だの自殺だの談合だの性犯罪といったさまざまな社会問題は、その西欧生まれの民主主義を、伝統の異なる日本に移植したためだとひとからげに断罪する。

 まあこれも、ちょっと短絡すぎて、類似行為で雨乞いをするような、偶然の共時に因果を見る、呪術的思考の残存のように私には思えるのだが、民主主義が伝統の異なる ― 従って、そもそもはその概念の意味する具体的対象も異なる ― 西欧の生まれであることは事実である。

 それに、伝統の古さを改革の障害物として、ただ「新しい」をアッピールすることにのみ、進歩性を感じているような人達にも、私は同意できない。

不明の原理が導くは

 「不明の原理」の受け入れは、人の価値感情の根拠を不明とするから、人が社会の中で、どのような体制を快として落ち着くかは、大まかな予測の試行錯誤はあっても、例えばマルクス主義のように前もって、人為的に規定することは出来ないという世界に我々を導く。

 言ってみれば、一つの時代一つの地域というキャンバスに、あなたは丸として治まろうとしているのか、それとも四角か、あるいは三角か楕円か、時にはあなた自身さえわからないことがある。

 伝統とはそのような多様を、実際の歴史の中に置いてみて、生き残った配置なのである。だから伝統あるものは、新しい思いつきよりも、はるかに確かなものをもっているものと、私は思っている。

けれど器が変わるから

 けれどそれは、必ずしも守らなければならない絶対のものでもない。というのも、人の心情の総体は、千年や二千年では変わるものではないとしても、その心情を描くキャンバスが変わる、表現する道具が変わる。

 そうすると、自ずと表現に重点が置かれる側面も変わる。例えば、「食べたい・言いたい・働きたい」という人が、食べられない環境では「食べたい人」として社会に位置するけれど、ある程度食が満たされると、今度は「言いたい人」になったりもする。

 つまり、同じ人であっても、以前のままでは折り合いが悪くなるのである。

歴史はご破算には出来ない

 ここ数百年を世界史的に見るに、産業革命が、このキャンバスを大きく変えた。その飛躍した生産力と交通手段の上では、今までの治まり方ではしっくりいかなくなるという事態が生じ、それはまるで地球上を駆け回る地震波のように、さまざまな方向に、さまざまな波長で伝播する。

 そして各地の伝統は、それぞれの伝統に従って身震いをし、その波がまた伝播する。この産業革命に匹敵するほどの変動を、驚異の拡大をつづける情報処理能力は、孕んでいるように私は思っているのだが、それはさておき、新しい改革のアイディアは、そんな変化への挑戦である。

 そしてどんな挑戦も、歴史がその足場を既存の現実に置かざるを得ない以上、肯定・否定いずれにせよ、過去をご破算にしては、あるいは同じことだが、都合よく描きなおした虚像の上には、次はつくれない。

靖国70年そして戦後60年

 靖国の伝統を崇拝し、戦後民主主義を異国の制度と嘆く彼らではあるが、戦後60年、この戦後民主主義も、日本的特徴といおうか、あるいは伝統の逞しさといおうか、良くも悪くも、結構日本的に変質して息をしているように私には見える。

 それに、靖国神社がその前身の東京招魂社として設立されたのが1869年、社名を靖国と改称したのがその10年後というから、戦後60年というと、靖国神社が国家の中に組み入れられていた期間とほぼ同じ間、歴史の中でもまれてきたことになる。

 なにも戦後民主主義は、1946年の憲法公布をもって突如として生まれ出そして止まっている、単なる文章ではない。それは神道国家の導いた、苦い戦争の体験を内に秘め、その後の内外の条件に、実際に対応した実践の産物なのである。

 だとしたら、戦後民主主義もまた、彼らが正当とであることの根拠とする、伝統なるもものの一つとは言えないのだろうか。

 いやいや、靖国神社は確かに新しいけれど、神社は太古の昔からあったと反論されるかもしれない。けれど、それがどれほど太古であろうとも、そこから連なるという伝統なるものの抽象は、そこからはるかこちらで今を生きる、人の脳裏に再構成されたものであることも忘れてはならない。

 自分たちの好むもののみ切り出して、それを伝統ともてはやすのは、少々の身勝手を超えて、何らかの下心で利用しているのではとさえ思えてしまう。

伝統とは、環境への治まり方の歴史

 繰り返しになるが伝統とは、良くも悪くも、好きも嫌いも、一定の環境の中に人々が治まったその治まり方の歴史である。

 そしてそれは、不明であるが故に意識の力では把捉できない人の心の実践として、理屈を超え、時代を超えた性向の、貴重な手がかりを孕んではいるけれど、その形を生んだもう一方の環境が変遷するのだから、絶対の治まり方ではない。

 社会を豊かにする意味で、さまざまな伝統を、博物館的には、そのまま残していきたいけれど、実践の場では、伝統は固持するものではなく、つくるものだと私は思う。

 そして、もし日本人の多くに、彼らがその正当性を主張するような日本性があるとすれば、社会が少々痙攣状態を経るという時期はあるとしても、自ずとその伝統が息づくはずである。

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