来て良かったと思いました。いやむしろ中国の旅はここから始めるべきだったような気がしていました。帰りのバスを待つ、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の前、昨日とはうって変わって、南京は春の暖かさでした。
なんとなく「スッキリ」したように思えたのです。「スッキリ」と言うと語弊があるかもしれませんが、いろんな気持ちが、それぞれに居場所を得たように思えたのです。決して良い気持ちばかりではありません。重苦しい気持ちも含め、私の中で居を構えたような落ち着きです。それらは今まで居場所を求めて彷徨っていたのかもしれません。
思えばラサでもその波立ちを感じました。それはラサの宿で在日韓国人三世の女性と出会った時でした。旅のあれやこれやを楽しく話しながら、過去の植民地や日本での差別の問題をこの旅での出会いの中でどのように配置すれば良いか戸惑っていたのです。
もしもそれが、例えばそういった討論会だったとしたら、そのようには感じなかったかもしれません。若い頃何度かそのような場で意見を交換したことがあります。
けれど、このさりげない日常の中で、果たしてどのような精神的態度で接すればよいのか ― 例えばその問題をこちらから切り出すべきなのか、あるいは今関係する話題だけでかかわるのか、――心の何処かで引っかかりを感じながらの一週間でした。
結局じっくり話す機会がなかったと言うこともあって、旅の出来事を楽しく話すのみで分かれることになりました。
そんな思いを引きずっていた私に、昆明から桂林への列車で偶然に同席した男性が私に打ち明けてくれた事があります。昆明から桂林までは三十一時間で、ビール好きの彼とは食堂車で三度食事を共にし、一人旅では味わえない楽しさを堪能させてもらいました。
彼は五十余歳で、語学留学を始めて四ヶ月目だと言うことでした。歳が近かったこともあり、話していて旅で出会う若者とは別の楽しさがありました。
その彼が言うには、「私がもっと話せるようになり、中国の若者とお互い打ち解け合えるようになったら、聞いてみたい事が二つある」と言うのです。その一つが「過去に中国を侵略した日本人に対してどのように思っているか」と言う事でした。
実現すれば是非それを聞かせてくださいと頼んで彼とは別れたのですが、その後一人になって考えるに、その質問をするには、質問をする側もしっかりとそれに対して整理しておく必要があるように思えてきたのです。
日本人の側はどのように考えるべきなのかということを。そう思うと次第に、この問題に対する私自身の態度を曖昧にしたままでは、中国の旅はありえないように思えて、どうしても予定を変更して、南京の地に立ってみる必要があるように思えてきたのでした。
バスが南京の市街に入るにつれ私は、少々緊張していました。どの街も初めての街に入るときには何時も期待と緊張が入り混じります。重いリュックを担いで右も左も分からない所で宿を探さなければなりません。私の場合「窓・清潔・安さ」がこだわりで、多いときには四つも五つもホテルを求めて歩き回ります。
けれどこの時はちょっと違った緊張が入り混じっていました。私はバスの窓から街の看板を目で追っていました。どこの街にでもある日本企業の看板があるだろうかと。
バスは市街に入り五分、十分、十五分と走りましたがそのようなものは見当たりませんでした。
バスを降り歩きながら、南京の人は「リーベンレン(日本人)」」と言う語にどういう感情を引き起こすのでしょう、そんなことを思いながら宿を探しました。
南京の街はとても広くて途中地図を頼りにバスには乗ったのですが、そのバス停からもだいぶ歩かなければなりませんでした。リュックが肩に食い込み休み休み二時間近く歩いたでしょうか。その間に「日本料理」なる大きな看板を掲げた店を見つけて私は少しホットしたのでした。
翌朝第一に虐殺記念館に向かいました。
記念館では、石に刻まれた虐殺の地と日付、それに殺された人数や、紅卍会によって埋葬された遺体の数などをメモして歩き始めました。けれどその多さに私はそれを途中でやめざるを得ませんでした。
私の考えでは、人はどこまでいっても人であって、決して神にはなり得ません。従って必ず悪は人の中に存在します。だからこの悪に対する精神的態度は、自分のその悪性を、いかに殲滅するかということではなく、いかにそれと付き合っていくのかということだと思っています。
しかし記念館を回るにつれ、人はそれを実行してしまうという現実があることに、いやむしろその方が多いかも知れないということに、はたと立ち止まりました。
「この実行された悪に対し、お前はどのような態度をとるのか!」
記念館の白骨はそう私に叫んでいるようでした。
人が人である以上、自分の中の悪と如何に付き合うのかということは、人類永遠のテーマだと思います。
しかしそれと同時に、現実に 《実現されてしまった悪》に対してどのように付き合うのかと言うことも、もう一つ別に考えなければならない、やはり人類永遠のというべき、深刻なテーマのように思えたのです。
この後者を考えるには、さまざまな相からの取り組みが必要でしょう。実行者か関係者か、またその関係の度合いは、あるいはその実行された行為が、法的・社会的あるいは伝統的にどのように見なされているか、等々です。殺人も時には英雄になるのがこの世のようですから。
だから、決して一刀両断にはいかないでしょう。しかし、それらの基礎の所で、《実行してしまったという事実に対して、どのような精神的態度をとるのか》ということが根本的なテーマとしてあるのではないでしょうか。
他の観点は、その精神的態度の表現として形を得るもののように思います。とすると、人はこの、《実現してしまった過ち》に対してどのような精神的態度をとっているのでしょう。
スペインや南米を旅した時、カトリックのカテドラルに必ずある、キリスト殺害の現場の絵や像を、私はどうも理解出来ませんでした。生々しい切り口、したたる血、絶望の表情が一層それらを際だたせてます。時には生首を皿に盛ったような絵もありました。
何故このように具体的に、残酷に、表現しようとするのか。このような生々しさ、残酷さを表現しようとする作者の宗教的情熱はどんなものか。それを見、それに祈る人々は、いかなる気持ちでそれを祭っているのだろうか。
「犠牲」とか「原罪への贖い」といった観点からの本を読んでも、そうなのかなと頭では理解するものの、いまいち私の中にある感情とは一致しないものがありました。
日本人なら日がたつにつれ、もっとサラッとしたものに自ずと変化させていくだろうと思えたのです。我々がそういう聖なる空間に求めるのは「平安」とか「さわやかさ」とかあるいは「新鮮で凛としたもの」です。
カテドラルの彫像や絵はそれと逆行します。あたかも必死に逆行しようとしているかのようでした。
日本神話の古事記の初めに、イザナギノミコトとイザナミノミコトが国造りをするくだりがあります。その時、やり方を間違えて女性の方から先に声をかけてしまいます。
その結果できた子供は「水蛭子(ヒルコ)」で、「わが生める子良くあらず」といって葦舟に入れて川に流してしまいます。そしてもう一度、一からやり直します。
私はここに、日本人の過ちに対する精神的態度が、象徴されているように思えるのです。我々はよく過ちに対して「水に流そう」とか「早く忘れてやり直そう」といったことを口にします。
どうも日本人の多くは、過ちに対し、河に流してしまう如く「忘れ去りたい」「意識から消し去りたい」「無かったことにして一から始めたい」といった感情に支配されているようです。
だから「掘り返すな」「荒らげるな」「じっと忘れるのを待とう」といった気持ちが働きます。
ところがカテドラルに集う人達の態度はこれとは逆であったようです。彼らはそれを忘れるのではなく、意識の中に常に維持しようとするものでしょう。
つまりあの空間はそういう己の側面を己の一部として意識に留め置く努力の空間でもあったように思うのです。
我々は自分というものを意識します。その〈我〉は、《実現してしまった過ち》と敵対します。何故なら〈我〉は、自分を何らかの価値で組み立てているのですから。その価値を崩してしまう《やっちゃった過ち》は、〈我〉の死活問題です。
従って意識の世界からは、それを追い出したい衝動に駆られます。水に流そうという態度はこの方向の代表でしょう。
それに対して「我」に馴染まないからこそ、常に意識的に生々しくそばにおいておく必要がるというのが、あのキリスト像を祈りの場に安置する態度といえるのではないでしょうか。
私の「日本人ならもっとサラッとしたものにしていくだろう」という感想は、前者の精神文化に育った私の、後者の文化に対する感想だったように思うのです。
どちらの態度も表面的には「謝罪」とか「賠償」とかいった同じような行為を受け入れます。
しかし一方は「忘れるため」「無かった事にする為」「荒立てないため」です。日本の記者会見などでよく言われる「結果的に世間をお騒がせして誠に申し訳ありませんでした」という台詞は、この典型と言えるのではないでしょうか。「荒立てないために謝ってしまえ」という精神が見え見えです。
ところで忘れることが出来れば、本人は気持ちよいかもしれません。けれどそれは以前の状態に戻ることでもあります。つまり悪性が意識下で野放しにされることです。まるで野獣が再び野に放たれるよう。
もしそれを拒むなら、事実を意識的に傍に置き、ついつい神と競おうとしてしまう〈我〉を、現実の姿に繋ぎ止めておかなければならないでしょう。こうすることが、贖いなのではないでしょうか。つまり、消し去る、忘れ去るとは逆の方向、より光を当て、よりあらわにさせる方向ということです。
それは常に出会いを「ごめんなさい」から始めなければならないということでもないでしょう。その後の方針に口を出せないということでもないと思います。また一頃よく言われた自己否定でも、ある人たちが言っている「自虐的歴史観」でもないと思います。
そうではなく、一回り大きくなることのように私には思えます。気に入らないことはやからを切って拒否する子供から、自分の欠点を認める大人へ。おとぎの国の王子様から、等身大の自分へ。もっともそれを「純粋性を失う」とか、「誇りを失った堕落」と見る人もいることでしょうけれど。
南京大虐殺という史実、記念館を出た私の気持ちは、重く複雑ではあったものの、自分たちを捉える足場をもう一つ得たようで、むしろより安定を得たように思えていました。
「人はどこまでいっても人であって決して神にはなりえない。従って〈悪〉はどこまでいっても人の中に存在し続ける。」
これはいわば私の信仰です。〈悪〉の殲滅を信じている人もいるでしょうし、又自分に〈悪〉など無いと言い放つ人もいることでしょう。
いずれにせよ〈悪〉とは何かちょっと立ち止まって考えてみるのも悪くはないでしょう。〈悪〉とはいったい何なのでしょう。
突き詰めていくと〈悪〉とは、具体的なレベルでは、〈人が苦痛に感じる行為〉と定義する事が出来るのではないでしょうか。
そうするとそれは、人の感情によって決められるものであって、決して神によって定められた絶対的なものではないということになります。
「人は神によって創られたのだから、人の感情には神の意図がある」といわれるかもしれません。例えそうだとしても、神によってつくられた「その人」によって決められる、相対的なものであるという点では、同意していただけるのではないでしょうか。
だとすると、何が〈悪〉であるかは、苦痛を感じる他人、つまり自分の外から色分けされるものということになります。つまり何が〈悪〉であるかということは、具体的には、人に先験的に備わった直観ではなく、人生において外から学びとっていくものであるということです。
場合によっては、自分の行為の結果に自分が苦痛に感じるということもあるでしょう。けれどこれもやはり結果に学ぶのであって、外から学び取るということに変わりはありません。
しかしこの人の苦痛は、文化や民族や時代を超え、ある程度の共通性をもっています。だからこの共通性を「絶対的」と見ることも出来なくはありません。
がしかし、苦痛は苦痛であっても、程度や種類に違いがあるため、やはり相対的とみるべきでしょう。
例えば、死は万人共通の苦痛であるといえるでしょう。しかし死に勝る苦痛を感じる人もいます。たとえそれが一時的であるとはいえ、自殺者は死をより以上の苦痛からの逃避として選ぶのでしょう。
だからやはり、何がどの程度〈悪〉なのか、人はその社会やその歴史から、常にアップデートに学び取らなければなりません。
ところがどうしても人の感情は、保守的になりがちです。今まで良かったことを悪いといわれても、なかなか腑に落ちません。
例えば喫煙の習慣一つとっても、最近の世の移り変わりに戸惑っている人も少なくないでしょう。
けれど〈悪〉は〈相対的で、学ぶもの〉と考えれば、例え気持ちがついていかなくても、頭の整理は容易になるのではないでしょうか。
逆に言えば、社会は何が〈悪〉なのかその構成員に教えるシステムを持っていなければならないということになります。虐殺も戦争だからある程度はやむをえないという意見が、公の立場の人からも出るようでは、この点決して充分とはいえないでしょう。
更に〈悪〉は学び取るものという見解から、社会は被害者が声を広めることを保障するシステムを、備えていなければならないということにもなります。つまり外から知らせなければならないのですから。
法律の後を追いかけるのではなく、たとえ気持ちがついていかなくとも、少なくとも頭では、〈悪〉のアップデートをスムーズに行いたいものです。
法は過ちの実行者を裁きます。まず事実結果を明らかにし、責任者を特定し、その原因を特定します。ここに於いて、故意か過失かでも、判断は異なるでしょう。
南京虐殺の問題を考える場合、まず第一に我々は日本国の継承者として、この当事者としての責務を問われることでしょう。つまり、日本の国の責任に物言う責務です。
しかし国家間の問題がかたづけば、新たなスタートを切ることができるのでしょうか。国家間で決着すればそれで良いのでしょうか。
法はその人のその後や、あるいは間接関係者については何も語りません。だからといって問題が存在しないわけではないでしょう。ではこの法的には不問にされる人(罪に服した後の人も)には、どのような問題が存在することになるのでしょう。
例えば犯罪者の子に、その責任があるのでしょうか。子に責任は無いというのが通念のようです。けれど子の犯罪に対して、親はその責任を感じる人が少なくないようです。
では我々その後の日本人は、南京の虐殺に対し、この点いかなる関係にあるのでしょう。二者はどのような形で再び肩を組むことが出来るのでしょう。我々はどのような心構えで、国際社会に治まることが出来るのでしょう。
確かなことは、二者の間で起こった事実は、起こってしまった以上、消えて無くならないということです。無かった事にしてというようにはいかないということです。二者が肩を組もうとすると、必ずそこにその事実がゴツゴツトした形で介在します。
だから二者が再び手を取り合おうとするなら、出来るだけその事実を、二者の間にしっくりとはまるようにしなければなりません。
そのためにはまず、その事実を形あるものに捉える必要があるでしょう。何故なら、その異物が何がなんだか判らなければ、しっくり治めようにも、形が造れません。つまり意識のコントロールが可能となるように、意識でつかみとる必要があるということです。
意識がつかみとるにはまず、それを空間的に固定しなければなりません。つまり、何処で何があったのかという事実の認識です。まずこのことが不可欠でしょう。ここにおけるすり合わせなくして、二者の関係修復は不可能です。何故なら形が異なれば、常にどちらかに角あるものとなります。
第二に、その事実を、時間的にも捉える必要があります。つまりどのような原因でその行為にいたったかという事実です。現実はこの点複雑で、一義的には決められないでしょう。いろんな見方が可能です。
例えば軍国主義、あるいはその実態である帝国軍隊が問題で、日本民衆はどちらかと言うと、共に被害者としてあったという見方も可能です。中国でテレビ等を見ていると、公式にはこのような見解のようです。そのように見ると、その後の日本人は罪なき子供達ということになります。
けれど、そのような軍国主義を成長させた日本的精神文化に原因があるという見方も可能でしょう。それは、個より全体を優先させる傾向であったり、情報の隠蔽、少数反対者の排外、差別思想等などであったりすることでしょう。
だとするとその原因は今も存続しているということになります。そればかりか、それらの中には日本文化の生命的なものもあり、一朝一夕にはなくしたり変えたりすることは不可能でしょう。
けれど、個別具体的なその発現形態は封じたり変えたりすることが可能です。だとすると我々はこの原因に対して、責任があるということになります。ここに関係者としての責務があるのではないでしょうか。
犯罪者の子に責任がないというのは、親の犯罪の原因に子はほとんど関与しないからでしょう。逆に子の犯罪に多くの親が責任を感じるのは、その原因に、教育等で関与するからではないでしょうか。
だから実現してしまった過ちに対してその関係者は、その過ちの原因というところに取るべき責務があるように思います。
以上要約すると、国家という継承体の問題は別として、その後の日本人としての我々個人には、事実の認識と、自分の考える原因への監視という点に、責務があるといえるのではないでしょうか。
余談になりますが、しばらく前に映画「ベンハー」をテレビで見て、そこに私としては三つ目のテーマを発見し、とても新鮮に感じたのを覚えています。
第一のテーマは勿論あのアクションです。子供の頃映画館で彼の戦車競技での勝利に胸のすく思いでした。私にとってはもうそこで映画は終わりでした。勧善懲悪の物語として、最後に悪人をやっつけて終わったわけです。
その後にしばらく映画は続いたのですが、何のことか良くわかりませんでした。
大人になってしばらくしてからテレビ放映を見て、そこに世の無常に対するヨーロッパの人々の考え方が出ているように思えて、非常に興味深かったのを覚えています。
戦車競技の勝利後、らい病に冒された家族と再会し、競技とは対照的に、人の努力ではどうすることも出来ない現実に直面するわけです。そこで彼らは奇跡を持ち出します。見ていて日本人なら、らい病の家族と共に、世の無常を受け入れるシーンで終わるだろうな等と思ったものでした。
同じ「見るなの禁」をテーマにして、その結末の違うヨーロッパの「青髭の妻」の話と、日本の「鶴女房」の話を思い出していました。
ところが先日は、これこそ製作者の本当に表現したかったことではないかという三つ目のテーマを発見したのです。
それは憎しみが憎しみを生み、又その憎しみが新たな憎しみを生むといった、抜け出ることの出来ない循環として展開される物語の中に、キリストの「許す」という原理を持ち込み、そこで始めてその循環の輪が断ち切られ、平和が訪れるというテーマです。
ひょっとして主人公はチャルトンヘストン演じるジュダではなくて、顔も見せないキリストなのではないかと思えたほどでした。
実行された〈悪〉に対し、被害者側は、何かそういった憎しみという当然の感情とは違った原理を、どこかで導入しなければ、苦しみは終わらないのではないでしょうか。
それは、すべてを神に任せるといったコーラン的態度であったり、大局を見て執着から離れようとする仏教的態度であったり、あるいは罪を憎んで人を憎まずというのもその一つとしてあるのかもしれません。又少し前までよく言われた「階級闘争による止揚」というのもその一つでしょう。
もっとも加害者の側からとやかく言うことではないでしょうけれど、人類の歴史は、それを巡っての苦闘の歴史でもあるようです。
イランを旅した時、かなり反米色の強い、30代くらいの男と話す機会があったのですが、日本は素晴らしいと賛美する彼、話を聞くと、アジアで唯一アメリカと戦った国は日本だからというのです。なんと、神風特攻隊も、その勇敢さを讃えていました。
てっきり日本の経済力を評価されるのかと思っていた私は、ちょっと戸惑ってしまったのですが、世界にとっては、先の大戦での日本の姿は、まだまだ消えてはいないようです。と同時に、そんなことを思ってもみなかった自分に、はたと気づかされました。
そう言えば、広島、長崎であれだけ多くの犠牲を強いられていて、そのことでアメリカを恨みに思っている人は、日本にどれだけいるのでしょう。別に恨めなどと言うつもりは、毛頭ないのですが、少なくとも、核に関しては、政府など、もっと根に持って物言ってはと思うのですが、いかがなものなのでしょう。
おそらくその彼、そんな日本人のアメリカ感情を理解出来ないのではないでしょうか。ひょっとして、これは、イザナミノミコト以来の水に流す文化の利点なのでしょうか。これもあの、憎しみの連鎖を断ち切る、別の次元からの原理にあたるのかもしれません。
彼がこのあっさりした文化を理解出来ないとすれば、逆に我々が粘っこい文化を感情で理解するのは至難の業かもしれません。
いずれにせよ、日本を捨てるでもなく、日本を押し付けるでもなく、自治と交流に向け、自分たちを相対化したいものです。