私の義兄が死んで一年になる。先日一周忌の法事に行って来た。葬式の時初めて会った人達とも、通夜を共にし、初盆で会ったりしていると、すっかり馴染みになっているのに気がついた。
そればかりか、葬儀の時に見かけた近所の人と途中で出会って、思わず会釈をしてしまった。先方も私を覚えていてくれたようである。彼が生きていた時にはなかったことである。
長いお経を辛抱して座る皆の後ろ姿にも、葬式の時ほどの動揺はない。確かに時が過ぎたのである。それも、チクタクと機械仕掛けの時計の刻む、無始無終の時ではなく、あの日から始まった時の流れが。
こうして思うと、葬式は死んでいった人にとっては終わりの儀式かもしれないけれど、生きている我々にとってはむしろ、始まりの儀式であったように思える。
ポッカリと穴の空いてしまった網の目の一角を、どんな形で埋め合わせるか、頭ではハイハイと配置換えできても、気持ちはそうもいかない。
繰り返す法事は、そんな気持ちを、自分に対しても、他人に対しても、納まるところに納める為の儀式なのではないだろうか。彼抜きの世界を再構築する為に。
おりしもテレビで新しい葬儀のあり方についての議論が紹介されていた。
大体「当人の意思を尊重して」というのが大勢のようであったが、葬儀を「始まりの儀式」と考えるなら、その形を決めるのは、去っていった当人ではなく、残された者達ということになるような気がする。
新しい関係をどのように創るか、そのための儀式なのだから。
もっとも、その関係を再構築するのに、故人の意思を尊重するということは十分ありうることだけれど。
数日後、小泉首相の靖国神社参拝のニュースが飛び込んできた。葬式を始まりの儀式と考えるなら、この靖国参拝の問題も違った景色が見えてくる。
それはこの儀式が、儀式として意味するところは、死んでいった故人と彼との関係というのではなく、生きている者同士の関係だということである。
残された遺族、新しく生まれてきた人達、殺されていった外国の人々の遺族、その国家、……、それぞれかけがいのないものを奪われた人達や、その人達の中で育った者達の、その諸関係を、どのように納めようとするのかという、一つの象徴的表現なのである。
過去は変える事の出来ない事実であるけれど、儀式はそれから離れ、今のあり様の表現なのだ。
改めて、賛否両論を考えてみた。
「今の日本は靖国に眠る人達の犠牲の上に成り立っている。参拝は当然だろう。」
「しかしA級戦犯も合祀されている。靖国参拝は戦争肯定だ。」
「いや、日本には死ねばみな仏という思いがある。それにあの裁判は敵国が裁いたものだ。参拝は二度と戦争を起こさない決意の表明だ。」
「いや、それは侵略の事実をうやむやにし、中国や韓国それに朝鮮の人達の神経を逆なでする行為だ。」
「そんなことを言っては、死んでいった人達の魂が浮かばれまい。」……
少々噛み合わない。
けれど儀式を、「生きている人達の気持ちのあり様を整える行為」だとすると、首相の参拝の問題は、その形式が靖国であるということに絞られてくる。
何故なら、死者の弔いも、不戦の決意も、「靖国の精神」でその気持ちを納めようということなのだから。
その「靖国の精神」とは、明らかにそこに祭られている人の死を、「崇高なる献身」と讃える精神である。
「死ねばみな仏」という論者はここで退場となるはずである。
靖国で祭るということは、その死を明らかに区別している。交通事故で亡くなった人や病気で亡くなった人と同一視はしていない。
あわせて、「今の日本は靖国に眠る人達の犠牲の上に……」という論者も退場願わねばならない。
何故なら、歴史は常に、それがどうであれ、過去に立脚しているのであって、その特に意味のない当たり前のことを理由には、現在のあり様は決められない。
さらに注意していただきたいのは、ここでは単に、命が尊いのではない。そうではなくて、その命をより尊い「何か」に捧げたからこそ、その行為主体が尊いと讃えられるのである。
ここで、「犠牲者を弔うのは当然」という素朴な感情に訴える論者も退場となる。
何故なら、靖国で祭られているのは、命そのものの尊さではなく、その行為の尊さなのだから。
靖国で祭るということは、命を奪われた人を悼むのではない。たとえ奪われたのだとしても、その人を「命を捧げた人」として讃えるのである。
奪った責任は不問になり、捧げた美徳が讃えられる。
となると、やはり土俵に残るのは、先の戦争をどのように自ら裁くのかという核心の論争である。
しかし、葬式を始まりの儀式と考えると、それは決して死者を裁くことではないように思える。それは、生きている自分達のあり様を裁くことではないだろうか。
ところで、退場した人々は何処へ行こうとしているのであろう。
どうやら、その多くは、「過去のしがらみや宗教色のない、新たな追悼施設の建設を」という動きになっているようである。
けれどこれは先の戦争をきちっと自ら裁いてその結果というのではなく、どちらかというと、「いやな過去は水に流して新しく」という、いかにも日本人好みの発想のように思える。
しかし水に流してたまるものかというアジアの人達も多いことであろう。
だから私は、先の土俵で、酸いも苦きもかみしめて、先の戦争を自ら裁くべきだと思うのであるが、私から見た、我々日本人の性格を考えると、現実問題として大勢は、新施設の建設の案に流れていくように見える。
これも一つの日本流のやり方かもしれない。「いやな問題は棚上げにして、出来ることから」というやつである。
がしかしその場合、行為ではなく、命そのものが尊いのだということを、明確にしたいものである。
そしてその命半ばで死ななければならなかった人々に、哀悼の念を捧げたい。今の自分達の心の形を決める行為として。そしてそれをどう決めるかは、各自の問題だと棚上げにして。
でないとまたいつの日か、棚上げにしたはずの問題がそこに顔を出し、うやむやの中に進展してしまうだろう、いつものように。