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日付や景色など、どうもご要望に応えられなかったようで、申し訳ございません。基本的には私の文章力の限界でしょうが、私の意図したところも、多少影響しているかと思います。
というのも、私はあの旅行記を、旅情報のガイドブック仕立てにするつもりは無かったからです。
もし旅日記がすべてそうであるべきだとすれば、そこに住んでいるわけでもなく、現地の言葉を喋れるわけでもない私が、2,3日滞在したからといって、取り立ててお知らせする情報は何もございません。
けれど、印象派の画家が、写実的表現を極力省略して、印象で表現しようとするように、また、心の断片で、全体を表現する俳句があるように、私は、旅の景色ではなく、その景色に立った生の私の感想でその情景を表現してみたかったのです。
これが「ゆれる心に 耳を澄ませて」という副題の意味で、書き始めるに当たって、旅行記のスタイルを表現しようと、頭をなませた表題です。
だから、一応その他の要素とのバランスは考えたとはいえ、「お前のことしか書いてない」と思われる読者の方も、おられることと思います。
けれど「その感想が正しい感想だ」というニュアンスで書いているところは、どこにも無いと思います。一貫して、一つのサンプルとして表現することを、心がけました。そのサンプルが、ホテル紹介や歩き方紹介と同じく、旅の一つの紹介になることを願って。もっとも、その私の意図が成功しているかどうかは、はなはだ疑問ですけれど。
また、どうしてもそう感じてしまう、私の感想をサンプルとして提示することにより、ひょっとして、その背景の、私を育てた日本文化の特徴が、そこに見えはしないだろうかというのが、私の淡い期待で、この旅行記全体の、一貫した隠れテーマです。
それからもう一つ、日付の問題。私は、人の心の時間は、川の流れのように刻々と過ぎ行く頭での時間とは違って、海のようにそこにあるような気がしております。
千年を越えた昔に、フェズを歩いた人も、喜び、悲しみ、夢を見、夢破れ、人を愛し、人を妬み…、道具の世界はめまぐるしく変わったけれど、心の世界は、ほとんど同じではないかと思うのです。だから、イエスや仏陀やムハンマドの言葉が今に生きるのだと。
そういうわけで、表現したいのが、そこでゆれた私の心である以上、日時の限定はこだわる必要が無いというのが、私の選択です。
もっとも写真は、私の心というより、外界の情報という意味合いが強いので、【旅・写真集】【Gallery旅情】には、日付が入っております。当初のサーバー容量の都合で、まとめたところもありますが、各ページ相互にリンクしておりますので、参考にしてください。
なお、以上の点を含め、もう少し詳しく、 【序章】むしろ目線は…旅以前 に、この旅行記をはじめるに当たってのいきさつが書いてあります。
少々理屈っぽいかも知れませんが、そんなに長い文ではありませんので、是非、読んでいただければと思います。
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