「ウサギは亀に追いつけない」と言うお話をご存知ですか。
ウサギが前にいる亀を追いかけ、亀は逃げるとします。
そうすると、追いかけるウサギが、初めに亀のいた所まで来た時には、亀は少しは前に進んでいることになります。
次に、そこまでまたウサギが走りついた時には、亀もまた、少しは前に進んでいるはずです。
これを繰り返すと、何度繰り返しても、必ず亀は少しはウサギの前にいるはずだから、ウサギは永遠に亀に追いつけない。というのです。
追いかけるのはアキレウスだったかも知れませんが、ギリシャの哲学者を悩ませた問題だったとか。
私がこの話をその昔、ある友人に話したとき、彼女は鼻で笑って言ったものです。
「ふん、何をいっているの、この忙しいのに。そんなもの追いつくに決まっているでしょう。」とね。熱い東京の夜の、ビアガーデンでのことでした。
彼女は昼も夜も働いていたのです。それはそれはエネルギッシュに。もう、私など、そばに居るだけで、圧倒されそうになったものです。そんな彼女ですが、ある時こんなことを打ち明けてくれたんです。
「欲しくて欲しくて仕方なかったものでも、手にするとつまらなくなってしまい、もうほかのものが欲しくなってしまうの」と。
実は彼女も「幸せの亀」に追いつけない、ウサギさんだったのです。
私はこの「亀に追いつけないウサギ」の謎がずっと解けずにいたのですが、先日、願いかなって魔法の国を訪れた時、ある美しい魔女が、その秘密をそっと教えてくれたのです。
彼女には内緒で、そっとお話しましょう。誰にも言ってはだめですよ。内緒ですから。
それは、「今と気持ち」にあるのです。
みなさん、時間というのは誰にでも均一に流れているものとお思いでしょう。ところが実はそうではないのです。
実は時間は流れているものではなく、たまっているものなのです。それも大海のように無尽蔵に。
どこにそんなものがあるかって。ほら、あなたのそばにあるのですよ、あなたのその「今」に。
あなたの気持ちがその今に漂うことが出来たら、あなたは永遠の時の中に生きることが出来るのですよ。
日向でまどろむ猫を見たことがありますか。
彼には、あるいは彼女かもしれませんが、人生の死があると思いますか、つまり、死の心配が。
明日の飢えがあると思いますか。いやいいや、彼の気持ちが寝転んでいるところは、永遠の今の中なのですよ。
先のゼノンは、そんな今の海を、理屈のバケツで汲み尽くそうと、悩んだってわけなんです。そんなこと無理な話ですよね。
ところで、時間が流れているものと思い込んでいる我々の気持ちが、先走って、その今を引っ張ると、そしてまた引っ張れば引っ張るほど、時の海から時間が届かなくなってしまうのです。
だからなかなかそれがやって来ないのですよ。給料日の待ちどうしいこと待ちどうしいこと、なかなか来ないですよね。
その逆に、気持ちが今を戻そうとすると、どっと時間が過ぎてしまうのです。ちょうど向かい風と追い風の関係ですかね。いやなことはすぐにやって来てしまうでしょう。
もうお分かりでしょう、楽しいことはなかなかやって来ないのに、いざ来てみるとすぐに過ぎ去ってしまうわけも。
我々がよく知っている「ウサギと亀」のお話がありますよね。ウサギが眠っている間に亀が追い越して勝負に勝ったというお話です。
あれは実はそんなお話ではなかったのだそうですよ。その昔この魔法の国を訪れた男に、彼女がこの「今と気持ち」の秘密を教えたお話だったそうです。
ところがその意味が理解できなかったらしくて、人間の国に持ち帰った彼が、あんな教訓話にしてしまったらしいのです。
まあそれはそれで良いかもしれませんがね。けれど彼女は、がっかりしていましたよ。その時はもう二度と人間どもには話すものかと思ったそうです。
だけど何故か私には話してくれたのです。惚れられたのでしょうかね。
そんな彼女が教えてくれたオリジナル版を、お話することにしましょう。
それはウサギが亀を追いかけているところから始まっていたのです。
何故追いかけるようになったかウサギ自身もわからなかったようですが、なぜかわけもなく必死に追いかけねばならないように思ったそうなんです。
ところがいっこうに追いつきません。そう、先のウサギは亀に追いつけないと言うやつです。
そんなことを繰り返しているうちにウサギは木陰で眠ってしまったというのです。疲れたのでしょうかね、それとも諦めたのか。
そうしたらどういうわけか、ウサギは亀に追いつけたというのです。不思議ですよね。眠っている間に追い越されたというのではなくて、実は眠って始めて追いついたというのです。
ちょっとへんですよね。私も聞いてみたのです。
そしたら彼女「亀が亀でなくなって亀になったってことかな」と言って、ニコニコしていましたよ。
あの日向の猫のようだったのでしょうかね。
ところで、この話に続きがあったのをご存知ですか。そう、亀に追いついたウサギは、実はあの浦島太郎だったというのです。
彼は龍宮城で、日向の猫よろしく、永遠の時を楽しんでいたのですが、ある時ふと我に返って、いつまでも居たいと思ってしまったのです。欲が出たんでしょうかね。
そう、もうお分かりですよね、時間というのは、止まれと思うと過ぎるというのを。永遠の時間の中で遊んでいた彼は、その時間をどっと浴びてしまったというわけです。