第3章 スペインに戻って  《 第6部 スペイン・モロッコ 編 》
第1話 アルハンブラ第2話 バルセロナ
第3章 スペインに戻って
第1話 アルハンブラ No.100No.100

 「あれ、行っちゃうの?」

 そんな顔をして私を見送っている。気のいい町のおじさんといった感じの主人である。スペインではめずらしく、駅まで客引きに来ていた。リュックをしょった私に近寄る、そのホッとするような微笑に誘われて、とりあえず見てみるだけと二人してバスに乗りこんだ。

 案内された1,300ペセタ(約9ドル)の部屋は、窓もあり、決して悪くはなかったが、日当たりはどうも期待できそうにない。私をつかまえて、嬉しそうに案内している彼には気の毒な気がするが、まだ日も高い、あわてることもなかろう。

写真  遠くシェラ・ネバダ山系を望むグラナダの街。スペインに最後まで残ったモーロー人の王朝グラナダ王国の都である。

 「有り難う、ほかを探します。」

 私は少し胸の痛むのを感じつつ、階段を下り、戸口を出た。はるかシェルネバダの山裾にへばりつくグラナダに吹く風が、冷たく首筋を過ぎる。

 「泣くがいい、男として守りきれなかったからには、女のように泣くがいい。」

 母アイシャの剃刀のようなせつない叱責の中、グラナダ最後の王、ボアブディルがアルハンブラの宮殿を後にしたのも、風も冷たい1492年の正月であった。その道すがら、今は「嘆きの丘」と呼ばれるその丘陵から、アルハンブラを振り返り、最後の別れに涙したという。

 色浅黒く筋骨逞しいモーロー人、あっという間にスペインンの大半を支配し、カトリック諸国を震撼させたモーロー人、そんな私のイメージからは、ずいぶんとかけ離れる。

 けれど翌日訪れたアルハンブラ宮殿では、そんな繊細な側面こそモーロー人の主役であると、控えめに、しかし自信たっぷりに、見せつけられたようで、立ちすくんでしまう。

 このモーロー人の洗練されたセンスに比べると、横に建つカトリック王カルロス5世の宮殿の、なんともやぼったく見えてしまうことか。彼には悪いが、この建物だけを見る限り、暴力に憧れる粗野な男のイメージは、むしろ彼の方に似合っているように思えてくる。

 いやいやそうとも言いきれまい。確かにこのアルハンブラ宮殿では、1232年赤髯の王、アル・アフマールが、ここを都にナスル朝を開いて以来、兄弟縁者の憎みあう、血で血を洗う争いが、少しの平和をはさんでは、200年を越えて繰り返されてきたはずだ。

写真  アラベスク文様の浮き彫り。アルハンブラ物語を書いたアーヴィングによると、石膏を型に流して焼いたものを張り合わせたらしい。

 そんな話の記憶が、100本を超える細い柱に支えられた、アラベスク文様の回廊を、アラヤネスの中庭から、ライオンの庭へと巡っていると、白黒写真の世界から、耳もとにかすかに息の音さえ聞こえる、カラーの物語に変わっているのに気がついた。肌色艶やかな大理石に飾られたアルハンブラを舞台に。

 アルハンブラ、それはしっとりしなやかな女性の指先のような美しさ。ほとんど触れるか触れないかで、どんな剛の男達も、たちまち骨抜きにしてしまう魔法の指先。そんなアルハンブラの魔力に取り付かれ、己ではなんともならぬ、色と欲の華麗なる世界に引きずり込まれて行った、王達の叫びが聞こえるようだ。

写真  池と光と文様が美しく調和した、アラヤネスの中庭。アラブの人にとっては、どうしても、水が楽園の必需品のようである。

 「これがパラダイスの鍵です」

 開城の日、ボアブディルはそう言ってアルハンブラの鍵を、カトリック王フェルナンドに手渡したという。敵に明渡す城を「パラダイス」と呼ぶ彼の言葉には、まるで恋人を手放すような、賛辞と嫉妬の両方が、混ざり合っているとは言えないだろうか。

 人々を困らせる乱暴者も、惚れてしまった女の魔力には、どうしても逆らえないもの。外では武威猛々しいモーロー人も、ここに入るとアルハンブラの魔法で蘇った、鎧の下に押し込めたもう一人の自分、「内なる女」の甘いささやきに、どうしても逆らえなかったのだろう。

 この宮殿に見える繊細さは、そんな剛に潜む柔のつくり上げたものに違いない。アルハンブラをめぐっての、数々の悲劇も、野獣のような男達を乗っ取った、そんな女達の戯れではなかったのか。

 いずれにせよここは、色しめやかな感情の世界。理性を酔わせる狂気の世界。ライオンの庭の噴水まで届いたという、アベンセラーヘ家の騎士達の、はねられた首から流れ出た血さえも、むしろこの宮殿を飾る絵の具の色に思えてしまう。

写真  幻想的なライオンの中庭。ハレムに遊ぶ女性達の幻覚を見てしまいそう。

 そんな魔法にとりつかれた私の目に、名曲「アルハンブラの想い出」の、甘くせつないトレモロに乗って、あのコルドバのトーレスの絵のような、神秘の瞳を漂わせた女達の幻が、柱の隙間に、現れては、消えて………。

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第3章 スペインに戻って
第2話 バルセロナ No.101No.101

 建ち並ぶ花屋の店先の、こぼれ落ちんばかりの花々が、バルセロナの陽を浴びて眩しい。オルガンの上を走り回る、若者の指先から、まるで吹き出るシャボン玉のように、軽快なメロディーが踊り出る。

 子供から老人まで、楽しそうにそれを取り囲む。あそこでも、ここでも。道を歩く人はいても、道を急ぐ人はいないようだ。そう、そんなに急いでは、足元に咲き誇る、ミロの見事なモザイクタイルもその色を消す。

写真  バルセロナ、ランブラス通りは、創意工夫の発表会場。通りそのものが息をしているように、はずんでいた。

 ひょっとして、人生もそうなのかもしれない。どちらを選ぶかは、その人が決めるものとしても、あまり急いでは、今ある文様の美しさも気づくまい。

 美しくしみとおる声、椅子の上の逆立ち、彫刻のように動かない人、おどけたピエロ…。そんな多芸の中で、まだら模様の化粧をし、ただただ木にしがみついている男がいた。じっと見ても何もしない、何もしない。

 思わずそのとぼけた芸に吹き出してしまう。無芸の芸。私は楽しくなって、ポケットから、コインを取り出していた。

 バルセロナ、ランブラス通り、どうしても、ぶらぶら歩きのブラブラン通りと読み間違えてしまう。

 そのブラブラン通りの人々にカメラを向けていると、ワッ!とおどけた顔がファインダー一杯に広がった。驚いて目を離すと、赤い服に黒くバンパイアの化粧をした娘さんが、ニコニコこちらを見ている。

 おそらく、謝肉祭か何かの一環かと思うが、若い女性がこんなにコミカルな化粧で街に出ているのを見るのは実に楽しい。通りを歩く人のみならず、仕事中の市場の店員も、みんな楽しい化粧をしている。海賊あり、お姫さんあり、動物あり、…。

 女性の化粧というと、セクシーに美しくが当たり前のように思ってしまうが、こういうコミカルな美しさというのも、一考に値するように思えてくる。

 彼女をレンズの前でおどけさせるのは、そんな化粧の力だろうか。それともここバルセロナの風土なのか。

写真  道化あり、ホラーあり、おとぎの国あり、…
 美しい化粧というのもいいが、出会う人の心をくすぐる化粧というのも、一考に価すると思う。

 なんだか、国や歳の違いを越え、仲間の輪に入ったようで、楽しくなってしまう。

 そんな楽しいもう一つの輪が、日曜日の午後カテドラル前で花咲いた。

 百人、二百人、いやそれを越えていただろうか。広場一杯にいくつもの輪ができ、3拍子のリズムでステップを踏んで踊る。カタルーニャの人々のアイデンティティを確かめる、サルダーナである。

 土曜、日曜ともなるといつも、あちらこちらにこの輪が出来るという。老いも若きも、輪になって踊る。皆けっこう気取って踊る。気取ること自体を楽しんでいるかのように。

写真  土曜、日曜、カテドラルの前でくり広げられるサルダーナの輪。

 いつもの自分とは違った自分を演出するコミカルな化粧。生活に追われた日々の自分とは少し離れて、カタルーニャの自分を確かめ合うサルダーナ。なんとなく、バルセロナの人々は、少し日常から離れた所に目を置く楽しさを知っているように思えてしまう。

 そんな楽しさの象徴のようなのが、ガウディではないだろか。砕いたタイルを多用し、まるでおとぎの国に迷い込んだようなグエル公園。ぐねぐねと波打つ曲線に囲まれたカサ・ミラ。それに何よりも、今も作り続けているというサグラダファミリア。どれも私には異次元の演出のように思える。

写真  ガウディ、カサ・ミラ。建物をグネグネとした曲線に仕上げるという、ガウディの発想に驚いたが…。

 笑いもそうだが、芸術も、事態を少し離れた所から再構成するときに生まれるもの。その仕方によって、それが笑いにもなり、感動にもなる。逆に事態に呑み込まれてしまうと、その笑いは「不謹慎」になり、その美は「腐敗」に映る。

 日本人の中にはよく、笑いのある場を不真面目と見なす人がいるようだが、私はそれは、その場が健康な証でもあると思っている。芸術や笑いを、不謹慎と締め出す社会は、人々が事態を離れて客観視することを恐れる、何かがあるということではないだろうか。

 100年を越え今なお造り続けられているサグラダファミリア。ガウディは自分の仕事をどれだけ遠い視点から眺めていたのであろう。

 ところでここバルセロナは、自然まで芸術を楽しんでいるように思えてしまう。スペイン広場から、列車で1時間、カタルーニャの聖地モンセラットでは、モコモコと立ち昇る奇岩の山にへばりついて、修道院が建てられていた。

 いったいどのようにしてと思ってしまうが、この平地そのものが、人工のものと聞かされてなお驚いてしまう。この光景を見ていると、曲線を多用したガウディの作品になんとなく納得がいくような思いになる。

 ただこちらは芸術を楽しんでいるのは、自然の方だ。「こんな岩山はどうだい」そんな創造の神のおふざけの声が聞こえてきそうである。

写真  モンセラット。モクモクと岩が立ち昇っている。中腹の平地は、そもそも人工のものとか。本当なのかと思ってしまう。

 ガウディ、ミロ、ダリ、そしてピカソ、皆このバルセロナに触発されたという。なんだか私も、今まで描いてきた自分の自画像の色を、変えてみたくなるような、遊び心をくすぐられてしまう。

第6部 スペイン・モロッコ 編 完

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