史観の詩からアジアを見れば史観の詩とは

 この21世紀にかけて、経済を劇的に発展させた国と言えば、中国を上げないわけにはいかないだろう。

 豊かになれば、人々をいやがうえにも整列させる貧困の圧力も減り、解放された人々は、多様な価値観に咲き乱れる。当然、人への見方も変わり、人と人との関係も変わる。社会の理念も変わる。

 にもかかわらず政治体制は、かつての抗日戦争に適応した一党独裁。畢竟、抗日に匹敵するような「大敵」を描き出すことが、体制の死活の問題となる。そう、歴史キャンペーンとかオリンピックとか…。

 けれどそういつまでもは続くまい。平和で豊かな国、共産党がその国づくりを成功させればさせるほど、自身の基盤は切り崩される。

《已む無く道具を追いかけて、社会は地上を模様変え》

 それが軟着陸か激震かはわからないけれど、このまま上向きが維持されるなら、いずれにせよ一党独裁は崩壊せざるを得まい。一色は多色で塗り変えられる。

 ひょっとしたら、その時まで、台湾やチベット・ウイグルの問題の解決は、待たねばならないのかもしれない。積み上げた瓦礫が崩れるが如く、新しい関係へと、摺りあわせが始まるその時まで。

 北朝鮮も、後継者問題をなんとか乗り越え、たとえそれまで体勢を維持していたとしても、この大波は乗り切れまい。その時までは仕方がない、我慢我慢の政治努力か。

《けれどやっぱり模様変え、悪もどこかに鎮座して》

 地震を起こすストレスは、一回の大地震でより、何回かに分けて解放していただきたい。歴史も出来れば、徐々に進んでもらいたいものだが、何れにせよ行き着く先は、解決というより、次の問題の出発でもあるに違いない。

 と、史観の詩で見ておけば、具体的には役立たないとしても、きりきり舞いはしないで済みそう。

価値マンダラ史観 2009/5/22
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